一ノ関忠人


おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く

伊藤左千夫『左千夫歌集』(1920年)

 

1912(大正元)年11月「アララギ」に発表された、この歌を冒頭にした一連五首は、伊藤左千夫晩年の絶唱と言われる。他の四首も引いておこう。

 

鶏頭のやや立ち乱れ今朝や露のつめたきまでに園さびにけり

秋草のしどろが端にものものしく生きを栄ゆるつはぶきの花

鶏頭の紅(べに)ふりて来し秋の末やわれ四十九の年ゆかんとす

今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽けき寂滅の光

 

さすがに左千夫と思わせる。この翌年には、脳溢血のため五十年の生涯を閉じることになる。この哀調は圧巻であろう。

少々思い出話をする。四十年以上前、私は高校生だった。

「ほろびの光」と題されたこの五首を、教員になってまだ数年という若い国語の教師は黒板に書写した。國學院大學で国語学を専攻したというから、短歌はあまり得意そうではなかったが、まずこれを写せと生徒に命じた。私が通った高校の当時の国語科はなかなか多彩な教員が多かった。その中では1年次に現代国語を教わったこの教員はやや頼りない感じだった。今思えばまだ若く慣れていなかっただけのことなのだが、生徒の目は厳しい。ただ一癖も二癖ある先輩教員に何とかして追いつこうと授業に工夫があったことは生徒にも分かった。だからだろうか、ちゃらんぽらんだった私だがわりあいまじめに授業を受けたおぼえがある。教科書は筑摩の現代国語だったから、これはけっこう楽しかった。宮沢賢治、小林秀雄、丸山真男については、この教科書がきっかけで読みだしたことを思えば、それなりに影響力を持ったのであろう。

この五首を黒板に写した教師は、五首目の「幽」と「寂滅」にチョークで右横に白線を引いた。そして、教壇から生徒を見回してこの語句の読みが解るものは答えよと質問があった。「幽」は簡単だ。即座に答えが返った。では、「寂滅」は。これがいささか難問だった。「じゃくめつ」が、この語の読みであることは分かるが、それでは短歌としておかしい。単に語数という問題でもなく、これを音読みしてはぴたっとこないことは誰もが分かった。では何と読めばいいのだろう。私を含めて国語が得意な連中がそれぞれに見交わした。皆首を振る。一人が莫迦正直に「じゃくめつ」と言って一言のもとに却下された。しばし、がやがやした空気が漂っていたところへ手を挙げた生徒がいる。教室の前方に座っていたバレー部の次代キャプテンと目される男子生徒だった。決して国語が得意ではない。文学的センスがあったわけでもない。

彼は一言、「ほろび」――

端的な答えだった。なるほど。そうか題だ。

教室中が沸いた。「寂寥」という語も、この時に知った。

後に国語教師になり、短歌作者となってみれば、ひどい設問だなと思うけれども、この一連を私に記憶させるほどには効果があったことになる。短歌というもののコクのようなものが私を惹きつけたのは、この一連だった。仏教語であろう寂滅を「ほろび」と読み替えることで短歌のある味わいが滲み出て来る。三島由紀夫の辞世に短歌の存在を知った私に、さらに短歌への道をひらいたのは、この左千夫の「ほろびの光」一連であったかもしれない。

五首の冒頭に今日のこの一首が置かれている。序、プロローグの役割を持っている。晩秋のある朝、庭におりたつ。すると思いがけぬ冷ややかな空気に気づく。「今朝の寒さを」の「を」に注目したい。「に」ではない。「を」によって目的語化した「寒さ」が一層意識に上る。踏み出した足の下に露に濡れた柿の落葉が深く積っている。身体の動きと皮膚感覚が晩秋の冷やびやとした空気感を伝える。柿の紅葉した落葉の湿った重なりの質感が伝わってくる。

そして庭の鶏頭やつわぶきを歌い、四十九歳のこの年が過ぎることを思い、それらはおそらく死への予感を呼ぶのだろう。そして最後の結末部、「すべて幽(かそ)けき寂滅(ほろび)の光」へ。寂滅は、涅槃の漢訳、ニルバーナ、煩悩を離れた悟りの境地であり、死に通じるが、この語を使いながら「ほろび」と読ませたところに、一首の深みとひろがりが出る。たしかに絶唱と呼ぶべきこの五首目のような歌は、左千夫にしか歌えない世界であることはまず間違いなかろう。