こごえたる手に戻る血の熱くして生くるは佳しと孤り思ひつ

田谷 鋭『乳と蜜』(1975)

 

『乳と蜜』は田谷鋭の自選歌集で『乳鏡』『波涛遠望集』『水晶の座』の三歌集から抄出されている。安立スハルが書いている解説によると、田谷は幼い頃に両親を亡くし、兄妹のうち七人も次々と病没してしまったという。しかし不思議なことに歌全体からはそのような不幸な雰囲気は感じられない。たとえばこの一首は、寒さにかじかんだ手があたたまりじんじんと血がめぐっている時に「生くるは佳し」とあらためて思っている作者がいる。シンプルな作りの中に素直さと、生きることの原点を感じる。

 

子ら三(たり)眠らせ了へてうをのめ(、、、、)を削ぎつつ(よる)は静かと思ふ

秘密めき妻いふあはれ内職の手袋に血のしみつけしこと

 

このような歌もある。昭和28年から31年頃の歌だ。一首に目は充足感のようなものが感じられる。三人の子がすやすやと眠っている夜、作者は魚の目の手入れをしている。静かな夜に家族とともに健やかに生きていることの安堵が伝わる。魚の目を削ぐという動作で自分に引きつけているところがいい。二首目は、内職をしている妻の歌。あかぎれなどで血が出たのだろうか。商品に自分の血がついてしまった。「秘密めき」というところ、そんなに目立つ染みではなかったのかもしれない。作者と妻の柔らかな関係性というものも見えてくる。

 

すべすべと黒き裏面は文字一つ(こく)せず鷗外の寂しき墓

おもむろに水を攻めつつセメントを練りゆくさまの愉しげに見ゆ

機械化し細分化さるる仕事のなかおもむろにかく人は孤立す

 

一首目は森鷗外の墓をみているところ。何げなく墓の裏側を見ると何の字も彫られずすべすべとしていた。三鷹にある森鷗外の墓は、遺言「森林太郎墓ノ外一字モホル可カラス」の通り「森林太郎墓」とあるだけのシンプルなものらしい。作者は鷗外のそういった選択に感じ入るものがありつつも寂しさを感じている。

二首目はセメントを練っている場面。機械で練っているのだろうか。水を入れて調整しているのは人であろうか。「水を攻めつつ」というところが面白い。

また三首目は昭和30年代頃の歌だが、機械化していく仕事の様子を詠んでいる。結句の「人は孤立す」というところに、人が無言で機械作業を続けていかなければならない姿がたってきて、機械化とともに失われていくものを作者は感じている。

 

偶然(わくらば)に子が採り来しとふ望の夜のすすきに添へて吾亦紅もあり

 

これも好きだった一首。素朴な素材の中に絵を見るような安らぎがある。