刻んでる音がしてゐるやがて潰れて青いどろどろの現実が来る

岡井 隆『銀色の馬の(たてがみ)』(2014)

 

この歌集は第一歌集『斉唱』から数えて31冊目の歌集となるという。止まらずに駆け抜けていく動的なイメージの歌集名がつけられている。

この歌はどういう場面だろう。「刻」の題詠という詞書がついている。野菜か果物を刻んでいてそれを潰して飲もうとしている場面のように思う。

「時間とは長い食卓だ」といふ君よその片すみでスムージーを飲む」や「ブレンダーで果実をくだく音のする朝だからこそのあはい憂愁」といったような歌が出てくる。「スムージー」は野菜ジュースどろっとさせた飲み物で凍らせた野菜をミキサーにかけて作ることもある。ブレンダーは野菜などをつぶす調理器具だが、ハンディタイプのものもあって手軽に早く材料を刻み混ぜることができる。「レシピ」という言葉を早くから短歌に詠んだのも岡井隆だった記憶があるが、「スムージー」や「ブレンダー」なども瞬時に歌に取り入れてそこに現代的な暮らしぶりを表わしている。

ただそのようなイメージを添えながら表したいのはもっと抽象的なことで、冒頭の歌で考えれば何か怖いイメージが広がる。とても爽やかにあった何かが大きな力につぶされてしまい、見たくないような現実として我々の目の前に来る、というように。「現実が来る」という強い結句が仕掛けのように働いていて、柔らかく飲み物が出来ていく様子が大きく翻ることとなる。

 

ツェランつてパウル・ツェランをもう長く開いているのに来ないなあ意味

 

パウル・ツェランを読み込んでいないが、「(はこ)(やなぎ)」という有名な詩がとても好きだ。この詩はアウシュビッツ強制収容所で銃殺された母を詠んだ詩なのだが、10行のやさしい美しい表現のなかに、満ち満ちた悲しみと許しがたい現実がある。

 

・・・

雨雲、おまえはたゆたう?泉のほとりに?

ぼくの物静かな母はみんなをおもって泣いている。

 

まるい星、お前は金色の蝶結びをつくる。

ぼくの母の心臓は鉛のために傷ついた。

 

槲材(かしわ)の扉、おまえを蝶番からはずしたのは誰?

僕の優しい母ははいってこれない。

 

後半の部分をひいた。(飯吉光夫訳)このような詩を読みながら、岡井の短歌を味わっていると波長がどこか似ている。べったりと日本語にくっついた歌ではなく、少しそこから浮き上がった距離のなかで歌われている世界を感じる。読んでいくときに心地いいけれど、無防備に足を置いていくのではなく、一歩一歩用心しながら歩をすすめ読んでいく必要がある。

 

略年譜ではわからない()火照(ほで)り(竹マット買つて夏にそなへる)

 

「略年譜」とあるから簡単に書かれた年譜で細かな所までは触れられていないものだ。「()火照(ほで)り」のような細やかな精神の動きまではわからない簡略さに、(この年譜が作者のものであったら)どこか歯痒さをおぼえるのではないだろうか。そんなことを表わしながら下句は違う方へと歌がそれていく。竹マットはひんやりとしたもので熱帯夜が多かった夏に売れた商品だ。表したいのは上句だが、下の句への繋ぎ方、そらし方が印象に残る。

 

編集部より:岡井隆歌集『銀色の馬の鬣』は、こちら↓

 

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