一ノ関忠人


大空を草薙ぎ払ふごとく来て無人攻撃機の金属音は

阿木津英「現代短歌」(2014年11月号)

*無人攻撃機に「キラードローン」のルビ。

 

今年7月から8月にかけてパレスチナ・ガザ地区へのイスラエル軍の侵攻があったことは、日本でも報道された。しかし、それが何を意味し、実際には何があったのか。日本での報道は限られたものであった。

イスラエルとパレスチナの抗争は、イスラエル建国にさかのぼる因縁をもつが、2006年ハーマスが選挙に勝利、ハーマスは西欧諸国に「テロリズム」団体に指定されていたため支援が停止された。そしてイスラエルのガザ地区への攻撃もその反攻も激しく深刻なものになってゆく。イスラエルはガザに対する人道的支援さえ武力で妨害する。

2014年7月上旬、パレスチナの少年がユダヤ系過激派に殺害されたことに抗議してデモが拡大、7月7日にはハマス側がイスラエル側にロケット弾を撃ち込む一方、イスラエル側も報復の空爆を拡大する。圧倒的な軍事力のイスラエルと周囲との関係を断ち切られたガザ地区とその非対称的な殺戮と破壊が、51日間にわたった抗争であった。

今回の夏の事態をイスラエル側は「プロティクティブ・エッジ(防衛の崖)作戦」と呼び50日間の戦闘というが、ガザでは一日早い7月7日のイスラエル空軍のガザ地区全土に大量の爆撃にはじまる「51日戦争」と捉えている。イスラエルとパレスチナの関係は、おおむねこのようなものである。

イスラエルのガザ侵攻は、2008年「キャレッド作戦」以降、この6年間に3回。ガザの若年人口の比率は高い。180万人の人口のうちの半分が未成年者、14歳未満でも40%以上、パレスチナ人権センターが8月26日の停戦時の発表では、死者数が2168名、その中の500名以上が子どもであった。今回の「51日戦争」で使われた弾薬の総量は18キロトンから20キロトンに相当すると言われている。ヒロシマ型原爆をTNT火薬に換算すると13キロトンというから、そのすさまじさが分かるだろう。その結果をみれば、まさにジェノサイドである。

イスラエルのガザへの攻撃は「芝刈り」、つまり伸びた芝を定期的に刈ると呼んで回を増すごとに残虐化している。行われるのは「ポリティカル・キリング」、危険思想に共感する疑わしい関係者や信奉者を索敵してドローンによって政治的に抹殺するという手法、つまり超法規的殺人である。たとえばパキスタンにかぎっても無人機プレデターによる攻撃は300件以上にのぼるという。

イスラエルは軍事国家である。軍事産業が基幹産業の一つである。アメリカから最新兵器を供与されている印象が強いが、電子機器系の武器輸出国でもある。ドローンを含め、イスラエルが開発している兵器をガザで実験している。ガザ侵攻は「反テロ装備見本市」であり、「ガザで実証済み」兵器は人気が高いそうだ。武器だけではなく国内のパレスチナ系市民、占領地西岸パレスチナ人に対する監視、管理システムもセキュリティ・メソッドとして輸出されている。戦争が経済の論理によって浸透している。

その軍産メディア複合体は、敵の非人間化を促し、それをレイシズムが支える。不安な状態をもたらす異質な他者への不寛容は、テロとの戦争を煽り、世界がイスラエル化しているのが今の時代ではないか。

これがこの夏、パレスチナのガザで行われたことをまとめたものだ。そしてイスラエル軍によって攻撃されるのは、サイン攻撃、疑わしい行動をする人物全てを標的にして、インフラの徹底破壊、人の集まる病院、学校が狙われる。さらにダブルタップという一撃後、救出に来たものをも撃破する徹底したものだ。そしてその攻撃の中心になってきているのが無人機(ドローン)である。

全世界が安全保障に取りつかれた形でイスラエル化してゆくことで、自分は安全地帯にいると思っていると、いつの間にか「テロリスト容疑者」として誤って拘留、殺害されるような「カフカ的不条理」に直面することになるのは、パレスチナだけではない。中東だけではない。いつか自分の身に及ぶことかもしれないのだ。

阿木津英の「GAZA」一連は、そうしたパレスチナの現実と世界の未来の思索から生まれだしたものだ。現在、ガザで起っていることは、当事者によってインターネットを通じて世界にこの事態が伝えられている。これらの情報の多くも、そうした情報に基づいたものだろう。21世紀型ジェノサイドは劇場型の性格を持つといわれるが、被害者自身が世界への発信を行使することでもある。だからこそ、私どもは気づかなければならない、知らなければならないのだ。阿木津はそれを歌にした。気づかねばならないと、考えねばならないと、そして……。

掲出歌はその殺人無人攻撃機(キラードローン)をうたい、その質感を伝えようとする。ドローンは、まさに現代の戦争の象徴のような武器である。あらかじめプログラムされた爆撃路を無人で飛行して攻撃を加える。映像では知っているが、現実にそれを体験していないものには難しい表現ではあるが、それでも阿木津は表現する。この意志こそがたいせつだろう。多くは解説しない。あとは作品そのものを読み解いてほしい。

 

Twitterに浮き流れくる屍を夜ごとに覗く灯ともるへやに

脳漿の垂るをみなごを抱かへつつ嘆きさけぶを見よとぞここに

にんげんの悲嘆といふを刻まれてぱれすちなびと辜(つみ)なき民ら

唸りつつ無人機の飛ぶ上空をいかにか堪へむぱれすちなびと

GAZA上空夕あかねして蚊のごとく無人機ゆけり街のひくきを

 

さらに無人機の操縦室へ想像は及ぶ。

 

逃げ惑ふ画面に向かふ女兵士の数刻のちの家庭の生活

 

作品はガザの現実と想像からいま日本に生活する自分に視点は移って行くのだが、この一連に私は圧倒された。ぜひお読みいただきたい。

(「51日戦争」については、「現代思想」2014年11月号「戦争の正体―虐殺のポリティカルエコノミー」の対談、各論を参考にした。)