たが宿の春のいそぎかすみ売の重荷に添へし梅の一枝

伴林光平(伊東静雄『春のいそぎ』1943年)

 

伴林光平については、9月18日に『南山踏雲録』の一首を紹介した。その折に履歴もおおかた紹介したが、加納諸平に師事した和歌が多く残されている。佐佐木信綱編『伴林光平全集』(湯川弘文社1944年)には、1ページ10首組376ページが歌集に割かれている。それ以外に『南山踏雲録』のように文章に添えられた和歌も多いから、全てを数えると五千首を超える和歌が存在していると考えられる。もっと研究され、紹介されていい歌人だと思うが、時代にもてあそばれた不幸な歌人でもある。そろそろイデオロギーを脱した読みを期待したい。

今日紹介した歌は、伊東静雄の第3詩集の表題に採用され、詩集のエピグラフとして冒頭に置かれている。「春のいそぎ」――美しい言葉である。準備、支度。『日本国語大辞典』には『蜻蛉日記』が用例に上がっているから、平安時代からの古い言葉である。

山から下りて来る炭売りに出遭う。正月の準備のために炭が買われる。いつもより多くの炭を背負っている。その背中の炭荷に、まだ咲きかけたばかりの梅の一枝が差し込まれている。この洒落た風雅、素敵な一首だ。

ただ、伊東静雄のこの詩集、戦争中のものであり、戦争詩が含まれるが、「春の雪」や「山村遊行」、「螢」の静けさ、「春浅き」、「誕生日の即興歌」の子どもなど印象に残る詩がある。

伊東は、無邪気に神国日本の勝利を疑っていなかった。「自序」には、その思いがしるされている。「草蔭のかの鬱屈と翹望の衷情が、ひとたび大詔を拝し皇軍の雄叫びをきいてあぢはつた海闊勇迫の思は、自分は自分流にわが子になりと語り伝へたかつた。」

そして、草稿をととのえて、さて表題の選定に悩んでいたときに、「たまたま一友人に」示されたのが、伴林光平のこの一首であった。

伊東自身は「大東亜の春の設けの、せめては梅の一枝でありたいねがひ」と書く。なるほど戦争の時代の最中ではある。また光平も尊皇攘夷派の志士の狂気を内蔵していた人ではあるが、この歌自体は、ただ平穏な年の暮れの新春を待つ、少しはなやいだ気分をうたったものである。その待春のはなやぎを味わいたい。

さて、その「一友人」であるが、富士正晴によれば、伊東静雄自身であり、こういうことが国文学者の風儀なのだと語ったことがあると後の回想(林富士馬・富士正晴共著『苛烈な夢 伊東静雄の詩の世界と生涯』(教養文庫1972年)に記している。さもありなん。

ただ一方で、保田與重郎が、伴林光平の再評価を意図した『評註南山踏雲録』(小学館)の刊行も似た時期である。伊東の自序は1943年4月の日付があり、保田の本の発行日は同年11月になっている。伊東の詩を発見したのは保田であり、「日本浪曼派」創刊に二人はかかわる。きわめて近い関係にあり、保田とのかかわりの中で示唆を受けたことも考えられる。保田の『評註南山踏雲録』には、光平の和歌を評釈した文章も収められている。保田が選んだ光平の歌について注釈を加えた「橿の下抄」である。そこにはこの歌が、次の一首とともに紹介されている。

 

頼ある年のはづれのはつ深雪ゆたかにこそは降りつもりけれ

 

この歌について、「歳暮の大雪に、何か豊かなものを感じた。古より正月の大雪は、豊年の瑞とするが、この伝承は漢土にもあり、我朝ではすでに万葉集の詩歌にこれを見た。降り積る大雪が、それ自体としてゆたかにたのしいと思へるのは、自然天真の人情である。たのしいから豊かと思へるのである」と保田は書き記した。

「たが宿の」については、この「待春歌もよい歌である。今日に持ちたい心である」と短く評しただけだが、万全の評価である。「今日に持ちたい心」は、当然ながら戦争ということだろう。まるで伊東の『春のいそぎ』の「自序」に記したことと重なる。『春のいそぎ』の刊行は、保田の本に先行して9月、この同期はやはり気になるところだ。

どうでもいいことだが、伊東の国文学者としての風儀なのか、保田とのかかわりのなかでの発想なのか。保田とのかかわりを想定した方が楽しいと思うのは私だけか。富士正晴に語ったのはいつのことなのか。それがもし戦後のことであったら、戦争協力が問われる時代、保田は悪玉の元凶のように処遇されていた。伊東がそのかかわりを素直に告白するとは思えない。

光平の歌の評価にもかかわってくるが、私はこの一首を平穏な日々の春待つ心をうたったものとして味わっていたい。誰の家の新春の準備に山から下ってゆくのか、梅の枝を添えて、それは勿論その山人の恋人であるか、あるいはすでに妻か。そうしたはなやぎがこの歌の良さではないか。私はそう思って、いつも年末になるとこの一首を口ずさむ。

どうぞ口ずさんでください。

どうですか。山道を男が、こころもち紅潮した表情にひたすらくだってくる姿が見えてこないでしょうか。