雪炎は茫茫としてあかときの海もろともにひびきたるかも

岡部文夫『氷見』(1992年)

* 「雪炎」に「せつえん」のルビ

歌集『氷見』「越中氷見」の章から引いた。雪炎という語は、手元の小学館『日本国語大辞典』にも大修館『広漢和辞典』にものっていない。だから、一般的な語ではない。作者の造語かどうかはわからないが、ちょっと他の歌集をみてみると、

 

炎炎と雪の夜天のはげしきに啼きつつ渡るひとつ鷺のこゑ   『能登』

 

というような作品がある。本来は火に対して用いる比喩を雪に使っているわけである。そのように燃え盛るものとして雪を見る。雪のちから、根源的な生命のエネルギーというようなことを、思うわけである。北国の歌、雪の歌で岡部文夫は、斎藤茂吉の『白き山』などの境地を超えようと思って刻苦し続けたと言えるだろう。その際につねに眼前に見据えていたのは坪野哲久の仕事だろうと思うが、ここでは触れない。

掲出歌、「茫々として」視界をさえぎるほどの雪が、はげしく降り続く海が前景に見え、その向こうから「あかとき」、日の出の赤い光が差しはじめて雪に反射しながら赤く染まる様子を「雪炎」と言った。見渡す海の上に降る雪が、陽の光の強く射すあたりを中心に、火がついたような色に染まるのだ。私はそんな壮絶な光景を目の当たりにしたことがないが、結句の「ひびきたるかも」というのは、まさに響くとしかいいようがない、ブルックナーの交響曲のように荘厳な、越中氷見のあかときのきらめきを表現したものなのである。この歌の前には、次に引く勇壮な鰤(ブリ)漁の歌がある。作者は取材のために実際に舟に乗り込んだのではないかと思う。そうすると、掲出歌は、船上の嘱目詠ということになる。

 

青青と渦に(さわ)だつ鰤の背を手鉤にかくる荒き手鉤に     (越中氷見)

騒だちて幾千か鰤の背は青し()めつつぞくる大謀網に

 

 

冬の海のはげしく男性的で勇壮な光景である。田中譲の懇切な後記に、「転勤生活の多かった岡部文夫氏は、氷見市に昭和二十二年から同三十一年までの長い間在住し、特に魚を好んだ氏は、氷見市を「第二の故郷」と言って愛し続けた」とある。それによれば、氷見市内の主だった場所は、すべてこの歌集に詠みこまれているとのことである。煩を厭わず目次を書き写してみよう。

布施の円山 氷見漁港 島尾遊園地 虻ケ島 桑の院鉱泉 十三谷 光久寺茶庭  鈿女森 神代温泉 朝日貝塚附近 布勢の湖 朝日山公園 上日寺 阿尾城趾   千手寺 唐島 余川谷 床鍋温泉 上庄谷 灘浦 湊川附近 西条 八代谷    加納の光藻 森寺城趾 祇園祭 飯久保城趾 氷見所所 越中氷見

こんな具合に、各連の題がすべて地名となっている。作品は、平明枯淡で、その地に暮らす人々への共感と愛情に満ちている。氷見の風物に接することの喜びを全身で感じている作者の姿が伝わって来る。(この項つづく)