母の手が子どもをなでて眠らせるやうに雪ふり雪ふりやまぬ

紺野万里『星状六花』(2008年)

   九州の生まれなので、深い雪を知らない。作者は豪雪地帯といわれる福井市に住んでいて、魅力的な雪の歌をたくさん作っている方だ。ちょっと羨ましい。
雪が降り続き、眺めている景色のなかにある、すべてのものの輪郭をなくしていく。そのやわらかさを表現した歌と解釈した。樹木もビルも、自動車も家も、雪に覆われてどんどん丸みを帯びてゆく。見なれた風景を別の風景に変える「手」を、作者は見ている。
雪国の大変さを知らない私のような人間は、雪景色の美しさにばかり目を奪われる。しかし、豪雪地帯に住む作者は、雪おろしに伴う危険や吹雪の恐怖をよくよく知っているはずだ。そのうえで、「母の手が子どもなでて眠らせるやうに」と表現した。そこに重みがある。
俵万智のよく知られた歌に、次の一首がある。

四万十に光の粒をまきながら川面をなでる風の手のひら

詩歌は見えない「手」を見るものなのだと思う。心を傾けて訪れた地、あるいは長く住む地を見つめる人にだけ、その「手」は姿を見せるのだろう。