松村 由利子


「新聞はとるのやめたの」親指と人差し指で画面広ぐる人

水上比呂美『潤み朱』(2014年)

新聞を読む人は減り続け、発行部数も減少するばかりだ。この作者は、「とるのやめたの」と言いながらスマートフォンの画面を操作している知人の指先を、静かに見つめている。作者自身は、新聞を購読しているのではないかと思う。そうでなければ、ことさらに知人の言葉と動作を歌にするはずはないからだ。

新聞社で20年余り働いた身としては、歌の作者と共に「画面広ぐる人」の指先を眺めるばかりである。スマートフォンが登場する前、いや、インターネットが一般的になるよりも前から、新聞を読まない人は増えつつあった。同い年の友人から、「テレビガイド雑誌とテレビがあれば、新聞は要らない」と言われたのは、20年ほど前のことだ。

こうした活きのよい素材を扱った歌のなかには、年月が経つと意味がわからなくなるものもある。しかし、この歌は、新聞を購読する家庭がまだ一定の割合存在し、一方でスマートフォンの普及率も上がってきているという状況をとらえたものとして、長く残るのではないか。『昭和萬葉集』を読んでいると、供出や配給などについての歌が、歴史的な意味をもっていることに気づく。「こんなことは歌にならない」と決めてしまわず、自分の心が動いたときに三十一文字に収めてみるのは大事なことだ。

それにしても、この歌のような「人」は世代を問わず、増えているのだろう。「画面広ぐる」のがもしかして老眼のせいだとすると、本当に新聞社は危機的状況にある。