フェイクファーかすめた指にしみついて恋はいつでも冬の匂いだ

法橋ひらく『それはとても速くて永い』(2015年)

 フェイクファーは、人工の皮製品の総称だけれども、「フェイク」(だまし)という言葉が入っているところがくせもので、恋の駆け引きはフェイクの連続と言えないこともないから、フェイクファーで作った衣類の肩に手をかけて移り香となったりするのは、彼女の髪の匂いか、香水の香りか何かかもしれない。でもそれが「冬の匂い」なのは、「フェイクファー」本体の持つ匂いが、本物の皮の匂いではなくて、やっぱり「フェイク」の匂いだからだ。私などは中澤系の「フェイクだよ」という歌をつい思い出すが…。

 

「無宗教やと信頼されん言うてたわ」「そうなんや」ジョッキの底の、泡。

「痩せたな」と心配されて旧友がほんまに旧い友であること

 

こういう関西弁が混じるのも楽しい。上の二首、特に説明はいらない歌だろう。技術的にも安定していて、一般的な理解の届くレベルと詩的な飛躍のある部分をうまくつないであるから読みやすい。世間の言葉をかりて大づかみに言うと「草食系男子」の気持ちを代弁している歌集という印象があるが、むろんそんな一般的なところに区分できない歌がある。

 

自意識が孤独を作る自意識をしばらく置いてデザート美味い

わざとポクポクした途切れる調べの歌にしてある。こういう歌を青春歌としてヘタウマで作れる自意識というのは、なかなか高度なので、私は自分のいま接している高校生たちにも読ませたいと思った。こんな歌も。

庇うときわずかに疼く疚しさだほんとうはあなたを責めたい

無理なソフィスティケーション、ここの文脈では自意識に由来する韜晦がこの歌には見られない分、多少の既視感は出てくるが、こういう歌は伝わるのである。