江戸 雪


子と入らん未来のあをさ月光(つきかげ)に乳(ち)の匂ひあるブラウスを干す

小島ゆかり『水陽炎』(1987年)

女は子どもを産んでしばらくは、乳をのませては抱き、寝かせるだけの日々がある。
もちろんほかの日常のできごともあるわけだが、この短い時期、おおくの母と子は一心同体のごとく生活する。
「子と入らん未来」は、子育ての日々のなかの実感だろう。

「未来のあをさ」というすこし複雑な感情の表現もまた正直なところ。
昼間は忙しくてできない洗濯は、子が寝たあとの「月光」のもとでする。
私の自意識を包んでいるはずの「ブラウス」はなまなましく「乳の匂い」がする。
今まで濃密にあった〈わたし〉はすみのほうで小さくなって、子どもがなまなましい生命体として腕のなかにある。
子どもの成長は喜びだが、「未来」はたしかな輪郭をもってあるわけではなく、漠然とした不安のほうが大きいようにもおもえる。

天空のかく深ければ歩みつつしだいに強く子の手を握る 『月光公園』

空の青さが深く冷たく感じる。
自分はちっぽけな存在でなさけなくなったり。
あるいは生や死をなまなましく感じてしまうときもあるだろう。
そんなとき、手を握りあってやりすごす子どもがそばにいる。説明のいらない愛がそこにある。

愛は、「未来」や「天空」への畏れを分ちあい、よろこびにかえることができるのだ。