さいかち 真


万葉の窓を開くればにぎはしき野のさへづりや大宮人の声

櫟原 聰『碧玉記』(2013年)

 連休中に京や大和地方を訪れる人も多いだろうと思う。万葉探訪を試みる方々もまた数多くいるのにちがいない。一つの書物が、たくさんの「窓」を持つ存在であるというのは、まったくそうかもしれない。

 

さかのぼれさかのぼれとぞ聞こえ来る明けほととぎす山の()の空

 

これは歌集巻頭の歌。ほととぎすの声を「さかのぼれさかのぼれ」と聞く、というのは、おもしろい。さかのぼるのは、古代史の時間のことだろうか。記憶以前の記憶をだろうか。古来死者の国との間を行き来すると思われてきた鳥である。そういえば集中には仏教的な語彙が多く出て来る。父祖や祖霊をうたった歌もある。風土に全身を浸されながら、それを心から受け入れて融和しつつ歌っている。多くが褒め歌である。そうして多くの歌が、その是非を超えて、下句を読んだあとで再び上句へと円環することを欲している歌であると思う。

 

さながらに生駒嶺つつむもろごゑのごとくに降れる霧雨ならむ

山は照り山は翳りぬしばしばも見放けむ国の青葉の底に

歌びとの行方知らずも前登志夫夜の山にし消えてゆきたり

 

これも清爽な風を感じることのできる一巻である。