暴力でオキナワくらいはなんとかなると軍用道路で話しているよ

淺川肇「無人島」第12号

 作者は、奈良県桜井市在住。そのため保田與重郎や山中智恵子とも近かった。地域では、人権向上のための活動で知られている人である。掲出歌は、私も寄稿させてもらっている手作り感のある薄い短歌誌に掲載されていた歌で、昨日届いたものの中に見つけた。作者は、沖縄に対する本土の姿勢を差別という視点から問題にしている人でもある。下句は、人々の意志を力でねじ曲げようとする者の存在に視点を定めている。制帽やヘルメットをかぶった人たちが、軍用道路に立って話している姿が、イメージできる。

今日のニュースをみると、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番」などという国会議員の発言や、「沖縄にある二つの新聞はつぶさないといけない」という作家の暴言(本人は冗談だったと言っている)があったことが報道されている。政府当局者も困って処分を発表しなければならなくなったほどの権力意志むきだしの言葉であるが、戦前の日本社会で幅を利かせたのも、こういうムードに乗って押せ押せで行こうとする人たちであった。だから、そういう意味では、別に私はここで(沖縄の二社以外の)大新聞の肩を持つわけではない。日本の大新聞は、戦後社名や新聞の名を変えて出直すべきであったのに、それをしなかった。

最近私が手に入れた古書に、安岡明夫著『笑えない漫画』(1969年5月20日刊)というのがある。この風刺漫画集をみると、沖縄がベトナム戦争時の出撃基地だったことがよくわかる。「兵站」を「後方支援」と翻訳のマジックで書き替えたとしても、基地の役割そのものは変わらないのである。