角田利隆『〈無〉の習作』(2013年)
夏の日差しを浴びた植物の濃い緑は、生命力を誇示しているように見える。沖縄のいくつかの島を毎夏訪れるようになったころ、繁茂する植物の勢いに、何だか島へ来ることを拒まれているような気分を味わったのを覚えている。
この歌の「夏の菜園」も、同じような生命力に満ちているのだろう。野菜作りというのは、言ってみれば、効率よく優秀な子孫の「生殖」を手助けすることである。最近は野菜本来の強い香りや味が必ずしも好まれないようだが、元気のある野菜は「官能的な」匂いを放つ。
ちょうどブライアン・オールディス『地球の長い午後』というSFを読んだばかりだったので、「野菜たち」の「たち」にリアリティを感じてしまった。さまざまな動物が死に絶え、植物が巨大化し支配者となった地球で、生き残った人類が食肉植物の手から逃れつつ生活する――というスリル満点の小説である。
歌の作者も恐らく、種の異なる野菜の「生殖」を見せつけられ、何となく圧倒されるような気分だったのではないだろうか。「夏」の一語がとても効いている。
*作者名の「角」は、5画目が突き出した字体です。