むらぎものこころいこはずいくとし月すぎこしはてのこの疲れかも

三好達治 『詩集 覊旅十歳』(昭和17年6月刊)

 一応語釈をつけておくと、「むらぎもの」は、「こころ」にかかる枕詞。旧仮名表記の部分の漢字は、「心憩わず幾年月、過ぎ来し果ての」。長い年月のあいだ少しもこころの安まる時がなかった己の人生を振り返っている。「来し」を「きし」と読まずに「こし」と読むところは、「アララギ」系の歌人と同じで、現代でも見習いたいところ。調べは、三句目の「いくとし月」で小休止。この小休止の一字字余りはなかなか重くて、続く下句は、地べたにおろした荷物を「よっこいしょ」と再び背負い直して歩きだす景色である。これが老残の人生の疲れというものか。

『詩集 覊旅十歳』は、和綴じの帙入りの本である。詩を中心にして、あいだに短歌と俳句が差しはさまれている。三好達治の短歌は、古雅な調べが魅力的で、明治期の御歌所系の歌人に連なる詠風と言ってよいだろう。一連の持つ雰囲気は、同時期の吉井勇の歌に似通ってもいる。

ページをめくってみると、私が中学校の頃の教科書に載っていた「大阿蘇」という詩が載っている。あれは詩のリズムのおもしろさと、ありありと浮かんで来る雨に濡れる馬の姿が、印象的な詩だった。中学生の当時はわからなかったが、今は、掲出歌からしのばれるような、人生にくたびれた人の、心底ひたされるようなさびしい心持ちから、ますます馬を愛おしむ気持ちが湧いて来るのだということがわかる。この詩の味が沁みる程度には、私も人生の疲れというものが感じられるようになった。