さいかち 真


思慕清く胸こみあげて複製のちいさき絵にもしばし救はる

大野誠夫『薔薇祭(1951年)』(綾部光芳著『歌人大野誠夫の青春』平成26年10月刊所引)

 大野誠夫は、年譜をみると十八歳で画家を志して上京し、翌年美校受験に失敗し、結核を病んで故郷にもどった。病のために二十歳の時の徴兵検査で不合格。二十一歳の時に画家志望を断念している。掲出歌は、そのように絵画に対して特別の思いを抱く作者らしい、芸術が人の心にもたらす、ほのぼのとした明るい温みのようなものをうたいあげた作品である。

『歌人大野誠夫の青春』は、1970年からその師の亡くなる84年まで、大野誠夫に師事した著者綾部光芳の畢生の書である。大野と交流のあった多くの歌人や、その生涯に出会った女性について作品の伝記的な背景を丁寧にたどりつつ、具体的な事件がどのように歌の表現として煮詰められていったかを検証している。

掲出歌と並べて次の歌が引かれている。

 

残像はうつくしきかなさまざまの絵を見て戻る森に息づく

 

作者は、絵画への思いを断ち切って故郷に戻り、庭に現実の薔薇を咲かせることに没頭した。綾部光芳は、作者による歌集『薔薇祭』の後記について次のように書く。

「…誠夫の第一歌集『薔薇祭』の<薔薇>とは、(矢野)綾子への秘めた思いそのものであり、<『薔薇祭』という題名は、西洋の祭云々(うんぬん)に触発された>という理由付けは秘めた思いを隠蔽するためのカムフラージユではないかと私は思っている。」

この矢野綾子というのは、絵画の研究所にいる時に出会った女性で、堀辰雄の婚約者であったということが、大野の自伝『或る無頼派の告白』に記されている。これに関連する歌。

 

人の死を聴きて虔しむこころの奥に念ずるがごとく弔花を挿しぬ

(悼画友矢野綾子)

 

この歌について、綾部光芳は次のように解説する。

「…<人>とは堀辰雄『風立ちぬ』に登場する節子、つまり堀辰雄の婚約者である矢野綾子を指しているのであるが、ここではすでに手の届かない存在として表現しており、<虔しむ>から、遠く旅だった画友に対し、畏まった思いで死を受け止め、自ら安息を祈ろうとする思いが伝わってくる。」

人のつながりというものは、数奇なものである。名作『風立ちぬ』のモデルとなった女人は、歌人大野誠夫の歌の成立にも多大な寄与を為したのだった。私は著者の労に深い敬意を抱くものである。