魚村 晋太郎


刃を当てて剥きしなま栗円空のほとけの顔に似つつひそまる

安立スハル『安立スハル全歌集』(2007年)

子供のころ、秋になると母親が栗ご飯をつくってくれた。
年に一度か二度のことだった。
天津甘栗は爪をたてて指で剥いたが、栗ご飯の栗は、包丁で剥いていた。
栗ご飯にする栗は、甘栗の栗よりおおぶりだったような気がする。
母親はパート勤めをしていて、団地住まいだったが、栗ご飯を炊いたり、菊膾をつくったり、季節を愛する気持ちを忘れなかった。
とくべつなことではなく、日本人の多くがそうだったのだろう。
さいきん、コンビニエンスストアで、レトルト加工の剥き栗などをみると、そんなにまでして栗が食べたいのかと、ふくざつな気持ちになる。

円空は江戸時代前期の遊行僧で、飛騨・美濃地方を中心にたくさんの仏像をのこした。
12万体の造像を発願したといわれ、現存作だけでも5000体を数えるという。
鉈彫りとも鉈ばつりとも呼ばれる丸木の割れ目を生かした荒削りのその仏像は、ごつごつした野性味のなかに不思議な微笑をたたえている。

おおぶりで、包丁で剥いたあとのごつごつした、でもなんとなく丸みのある栗ご飯の栗はたしかに円空の仏像を思わせる。
ひそまる、という言葉に、炊かれるまえの栗の、しんとした秋の表情が感じられる。
そんな栗の実をみつめる主人公には、山野を旅した遊行僧たちのくらしやこころにはせる思いもあったにちがいない。

作者は戦争中に持病の肺結核を悪化させて、余命二ヶ月を告げられたというが、その後長く生きて世の中と季節のうつろいを見つめつづけた。
1964年の歌集『この梅生ずべし』以降、活躍しながらも第二歌集を持たなかったが、2006年に亡くなったあと、コスモス短歌会と親族によって全歌集が刊行された。

  かの頃の飢ゑを知るゆゑ真白米手にすくひつつ思ふことあり

栗の一首、白米の一首、ともに1972年の初出。
いわゆる高度経済成長期の終わり、石油危機の前年のことである。