有沢 螢『ありすの杜へ』
(2011年、砂子屋書房)
ふるさとの歌についての鑑賞文を、というご依頼はたびたびいただく感があり、人気のあるテーマなのだなと思います。まずは石川啄木歌集の初句索引を見てみると、「ふるさとの」で始まる歌の多さに、かるく驚くほどです。
ただ、個人的には、室生犀星の詩の有名な一節である
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの 「小景異情 その二」より(『抒情小曲集』)
のほうが、よりぴったりくる気がします。両者とも口ぶりは素朴ですが、犀星は啄木のようにストレートにふるさとをなつかしむのではなく、帰ってはならないところ、つねに心の中だけで焦がれているべき場所として描いています。
有沢さんが犀星の詩に愛着を示すのは、心性が近いためでしょう。「ふるさと」が詩の内に蔵われることで、宝石の輝きを得たかのよう。結句の「やさしく」が、犀星の「悲しく」と同義に見えてきます。
有栖川公園の森奥深く「ありすの杜」へ母は入りにき
有栖川という地名も、その名に由来する施設名もメルヘンめいていますが、背後には母の認知症という現実があります。「短歌を詠むことで、私は乗り越えがたくつらい現実を、日常とは違う回路で見つめ直し、作品化することで浄化できていた」(エッセイ「ありすの杜へ」より)ことが、どの歌からも伝わってきます。
短歌特有のかなづかいや語法に「異言語的効用がある」という論も、自身の作歌方法をよく自覚されてのことといえます。
*エッセイは現代短歌文庫123『有沢螢歌集』(砂子屋書房)より引用