あかね雲かがやく街の古書店にイスラム経典しづもりてあり

前川佐重郎『孟宗庵の記』(平成25年、短歌研究社)

 東京・神田神保町の交差点近くに一誠堂という大きな古書店がある。一階は歴史や文学などの和書で、二階に上がると江戸時代の本と洋書が置いてある。二階の右奥の角の部分が、中東アラブ関係の本の置いてあるコーナーである。その配置はもう五十年以上変わってないと思う。中東アラブ関係と言っても、範囲は広いが、アラブ、ペルシャ、トルコの辞書、歴史書、文学書等が中心である。アラビア語を学ぶ者にとって必須とも言ってよいほどの名辞書”THE HANS WEHR DICTIONARY OF MODERN WRITTEN ARABIC”もここに置いてある。この一首の「古書店」はどうもこの一誠堂のような気がしてならない。

 イスラムの経典は「クルアーン」というが、日本では「コーラン」という呼称が一般的かも知れない。世界一退屈な書籍という人もいるが、確かに旧約聖書、新約聖書などに比べると退屈であり、意味が取りにくい章句が多い。理由は「クルアーン」の章句は誰かが一貫した方針の下に編集した本ではなく、預言者ムハンマドが存命中に、その時その時の状況に応じて、神から下された啓示を、彼の死後、啓示の逸散を防ぐために信者たちが纏めたものであるからである。幾つかの日本語訳も出ているが、この一首の「イスラム経典」は恐らくアラビア語原典であろう。そもそもイスラム教徒にとっては、アラビア語の物だけが経典であって、各国語の翻訳はアラビア語を母語としない信者のための「解説書」に過ぎないという位置づけである。一誠堂にアラビア語の「クルアーン」が置いてあったかどうか確かではないが、置いてあっても当然であろう。古書店というものはそもそも客の多い所ではないが、ここは更に二階の辛気臭い一角である。日本で中東アラブ関係の外国語の専門書を購入する人がどれだけいるだろうか。置いてある書籍も、何年も変わらないような気もする。

 この一首、「あかね雲」であるから、夕暮れであろう。静まり返った日本の夕暮れの古書店の二階の隅に、おそらくは何年も置かれたままのアラビア語の異教の経典、何か不思議で、おどろおどろしい雰囲気である。「経典」がまるで神秘な魔法の書のような感じさえしてしまう。時間と空間がその流れと秩序を喪って、自由に交錯していくような錯覚すら覚える。魅力的な一首である。

     青嵐ふきぬけし後(のち)いつしゅんを人も樹木となりて傾く

     うつくしき箸の使ひ手まへにして虎魚(をこぜ)は皿に横たはりたり

     それぞれの棘のするどさ競ひつつ花屋の薔薇が囁き交はす