井上法子『永遠でないほうの火』
(2016年、書肆侃侃房)
2013年に短歌研究新人賞次席となった連作中の一首で、当時から話題になっていたのですでに諸解釈があるようですが(作者が福島出身であるため原発の暗喩と見るなど)、あらためて語法を中心に読んでみましょう。
具体的な生活の描写はないものの、〈燃えたぎる鍋〉ですから短歌用語で言うところの厨歌と呼ぶことは可能です。
ファンタジー好きの私には薬草を釜で煮る魔女の図が浮かびましたがそれはさておき、鍋を熱する火が〈永遠でないほう〉に属するということは、永遠に属する火もどこかに在るということになります。
神の手に属するというニュアンスもあり、神聖なもの、宗教儀式における聖火に思念が向かいそうなところを、引きとめられる。歌のかなめともされる腰(第3句)に置かれた〈だいじょうぶ〉によって。
誰に言っているのか、何が大丈夫なのか。
ここでは、声に出さない個人的な指さし確認のように見えます。現実のコンロの火はコントロールできるから大丈夫。そして、コントロールできない反現実の火を想えば現実を生きてゆけるから大丈夫。
厨の火という現実を〈見すえ〉つつ反現実を想う、背反的な心の揺れを感じます。
まして、予期せぬ火であれば。
やや長きキスを交して別れ来し/深夜の街の/遠き火事かな 石川啄木
ほほゑみに肖てはるかなれ霜月の火事のなかなるピアノ一台 塚本邦雄(原作は正字)
選んでもらったお花をつけて光らずにおれない夜の火事を見にゆく 井上法子