傘さしてゆくにんげんをわらひをりたつぷりと雨にぬれて樹木は

小林幸子『水上の往還』(2013年、砂子屋書房)

 傘は実に不思議な道具だと思う。人間は古代から傘を使ってきている。その素材やデザインは変わってきているが基本的な構造は何千年も殆ど変わっていない。一本の柄の先に放射状に骨が付けられており、その骨を多角形状に被う布、或いはビニールのようなものが張られている。雨が降れば、拡げて頭上にかざすことで濡れることを免れ、使わない時は畳むことによって携行が容易になる。極めてシンプルな構造である。その簡素な構造は古代から現在に至るまで世界のいたるところで共通している。違うのは素材、デザインなどの点に限られている。

 ところで、自然界で傘を差すのは人間だけである。我々はそれを「文明」と呼んでいる。しかし、その「文明」がいかに危いものであるかは、あの原発事故で十分に思い知った。この一首、そんな人間の「文明」を揶揄しているようだ。樹木は傘を差さない。むしろ、雨が降れば濡れることによって、樹木は成長する。それが自然なのだ。生物と無生物がバランスを取りながら共存している。それが太古からの地球のシステムなのだ。しかしある時から、人間は自ら自然から逸脱し、そのことを「文明」と自負している。そんなことを感じさせる作品である。

 文明批判の作品ではあるが、歌われている光景は具体的であり、美しい。旧仮名で、しかも敢えてひらがなを多用することによって柔らかさと甘やかさが表現されている。主語の「樹木は」は最後まで読まないと判らない。読者は、解釈を宙吊りにしたまま四句目まで来て、結句で全てを了解するのだ。このトリックも熟慮されたものであろう。

      これだあれ、写真ゆびさすをみなごは死者になりたるひとらを知らず

      手の甲に楔のごときが刺さりゐる阿修羅の右手さしだされをり

      みづびたしの藤原宮址、コスモスの花と流るる雲うつしをり