中山俊一『水銀飛行』
(2016年、書肆侃侃房)
シュリーレンって? お菓子?
調べました。『広辞苑』では「シュリーレン法」として、光の屈折を利用して音波や気体の流れなどの観測に用いる方法といった説明が出ています。実生活でいえば夏のかげろうとか、水に砂糖が溶けたり塩水が混じったりするとき温度や濃度の差によって生じるもやもや、あの現象のことだそうです。
カタカナ語は長く、短歌に用いると幅をとります。ましてそれを繰り返すと、ほぼ無意味な内容になりがちです。
でも、意味を犠牲にしても、響きやニュアンスだけで成立しうるのが詩歌というもの。
ひまはりのアンダルシアはとほけれどとほけれどアンダルシアのひまはり 永井陽子
ひまはり+アンダルシアという名詞が響きあうこの名歌と中山さんの歌とは、共通点をもちつつも構造が異なります。さよなら・ゆれる・甘い生活、という形の異なることばの断片がケーキの飾りめいてきらきらしく、シュリーレン×3はむしろ土台のスポンジのよう。
自転車にのるクラリモンドよ
目をつぶれ
自転車にのるクラリモンドの
肩にのる白い記憶よ
目をつぶれ
石原吉郎の詩「自転車にのるクラリモンド」第一連より。目をつぶると、記憶がカラフルに広がります。
たいしたことは言っていないのに、うきうきとたのしく、たのしさが終わることがせつなく、せつなさが甘い。掲出歌のつくりは、こうした詩に近いかもしれません。
しろでほわほわ涙を拭いていたティッシュたべたくなってしまったおれは