三井修


砂時計ひっくり返す人消えて針の時間が追い越してゆく

細溝洋子『花片』(2016年、六花書林)

 砂時計をひっくり返してそこに置いた人がどこかへ行ってしまった。三分間の砂時計の場合、三分たてば、砂は落ち尽くして静止してしまう。それはまるで時間が停止したような錯覚に陥る。しかし、同じ部屋の普通のアナログの時計は動き続ける。短針、長針がそれぞれのメカニズムに基づき動き続けている。停止した砂時計をよそ眼にアナログ時計の針は動き続けるのである。それは、針の時間が砂の時間を追い越していくのだという。それまで砂時計とアナログ時計という二つの時間がパラレルに流れていたのだが、一方の砂時計の時間が止まったのに対して、アナログ時計は流れ続けているのだから、確かに「追い越して」行ったのである。

 また、「人消えて」という設定もこの場合、効果的だと思う。この世界では、人間の営みとは別に、複数の時間が流れており、それぞれ止まったり、流れ続けたりしているのだ。人間はその一部に関与することがあっても、時間の全てを支配することはできないのだ。そんな感じを受ける。

 そのようなことは我々は感覚では判っているのだが、それを言語化するということがなかなか難しい。しかし、言語化する場合、この不思議な感覚は恐らく散文で表現するよりも短歌のような韻文で表現する方が相応しいような気がする。ここでは「追い越してゆく」という端的で比喩的な表現がその二つの時間の分離を見事に表現した。短歌ならではの把握であろう。

      氷上を舞う人体にあらわれて指の先より放たれる線

      追い越してツバメ去りたり中空に速度が描く涼やかな線

      この春の抱負を語る木蓮の全員起立の蕾ふくらむ