江戸 雪


あらはなるうなじに流れ雪ふればささやき告ぐる妹の如しと

近藤芳美『早春歌』(1948年)

太宰治『晩年』の「葉」という断片集に、つぎのような文章がある。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこまれていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

この無意味さに強くひかれる。
いま、生きていられるのはちょっとした偶然の重なりなのだ。
どうように、身体の底から感情が湧きおこるのにも、なにか理由が必要だろうか。

寒風にまじって雪が降ってきた。風と雪を錯覚するほど寒い日。
きっちり髪を結って「あらわ」となった「うなじ」。
寒さに張りつめた膚の白さが際だって美しく、そこに雪が降りかかると、よりいっそう強く愛しさを感じる。
ストレートに思いを伝えることへの躊躇や怯えを忘れてしまうほど、ふいに感情は波打つ。
「ささやき告ぐる妹の如しと」の「妹」は女性にたいする最高の親愛表現だ。

「妹の如し」と「ささやき告ぐる」のは、「うなじに流れ雪ふれば」なのである。
今という時は、ただきみの「うなじ」に「流れ雪」が降っている時。
そしてどうじに、今はこの愛の言葉をささやくべきまさにその時だったのだと、「ふれば」の「ば」によっておもわせられる。