柴田瞳『月は燃え出しそうなオレンジ』(ながらみ書房:2004年)
(☜2月17日(金)「ゲーム機の世代スイッチ (3)」より続く)
◆ ゲーム機の世代スイッチ (4)
歌集と同じタイトルの連作「月は燃え出しそうなオレンジ」所収の一首。場面を描くために、いくつかの歌を引きたい。
日本海沿いを南へひた走る零下1度の受験日の朝助手席の弟低くぶつぶつと年号唱えそれきり黙す始まりのチャイムよ我の祈り乗せ礼拝堂の如く響けよ
どうやら、すでに大学生の姉である私が、弟の受験に付き添ったことが伺える。試験開始のチャイムに合わせて祈る姿には、歌の世界ではめずらしい素直な姉弟愛が感じられる。
掲出歌は、弟の受験が終わった後のものだ。入学試験が終るまで我慢していた、あるいは我慢させられていたゲーム機をさっそく取り出して遊ぶ。早くも敵にやられている弟の姿を、姉はすこし遠巻きに見ているのだろうか。そんなんじゃ受験の方も駄目かもよ、というちくりとした皮肉にもやはり愛情が感じられて深く印象に残る。
歌集の構成から考えて、2001年以降の作品だと思われる。「プレステ」ことSONYの家庭用ゲーム機「プレイステーション」は1994年の登場だが、前年の2000年春には「プレイステーション2」が出ているので、もしかしたらそちらの方かもしれない。SONY自体が「捨て」という響きのある「プレステ」という省略名は好んでいなかったというのは「そんなこと誰も思いつかないよ…」と笑ってしまう逸話であるが、なるほど受験という文脈を負った掲出歌においては「プレステ」というゲーム機は縁起の悪い名称である。
弟の受験がどうであったかは分からない。しかし、受験後にゲームで遊ぶ弟を眺めるという豊かで幸せな時間は、この先、姉弟それぞれが自らの人生を歩んでいく中では簡単には得られないものだろう。そんな予感が、姉に次の歌を詠ませる。
弟よ。遺伝子レベルで愛してる 同じ墓には入れなくても
「同じ墓には入れない」という現実世界のしきたりや風習による運命に対して、「遺伝子レベル」という科学的なのか非科学的なのか分からない愛の熱量が眩しい。
ゲームは何度も挑戦でき、受験も限りはあるけれども次がある。そこからぐっと時間軸を見渡すときに、一回性の人生における姉弟という一回性の関係の美しさが浮かぶ。
(☞次回、2月22日(水)「ゲーム機の世代スイッチ (5)」へと続く)