今井恵子


ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも

上田三四二『湧井』(1975年・角川書店)

 

『湧井』は、大病ののちにまとめられた第三歌集。奇跡的に回復した病後の自歌について上田は、「自然回帰的なもの」という。さらに「私自身としてはひそかに、この集に来て、わが歌に風姿ともいうべきものの副ったのではないかと感じ」たと記す(『湧井』あとがき)。

 

この歌は、昭和44年の作。代表歌としてよくとりあげられる。「吉野山の山麓温泉ヶ谷に元湯なる鄙びたる一軒家あり。花にやや遅きころ、ゆきて留まること四日。」の説明が添えられた小題「花信」28首の中程にある。

 

さびしさに耐へつつわれの来しゆゑに満山明るきこの花ふぶき

あくがれは何にかよはんのぼりきて上千本の花のときにあふ

 

このような歌のあとに、引用の一首は現われる。花期の過ぎた麓から上千本にいたって作者は満山の花吹雪に出会った。一片一片の花がそれぞれ光を曳きながら谷へくだってゆくさまは、吉野という地の歴史を重ねればなお、この世のものとも思えないほどに美しく哀しい。命の愛しさと寂しさを同時に描き、命への愛惜やまない一冊である。

 

マンホールこえて歩めば暗きにて落ちあふ水のさびしき音す

死ぬことのこはしとこそは嘆きしかその亡きあとの部屋に日の差す