<石炭をば早や積み果て>て近代の暗礁に乗り上げたる船は

寺尾登志子『奥津磐座』(2016年・ながらみ書房)

 

集中、この歌は「超ウランなる重たさの逢魔が刻ほとぼり冷めぬ廃炉のほとり」と「なまぬるき沼に気配を潜めたる鯉が水面にあぎとふ夜を」の間にある。主題は3.11の原発事故である。<>内が森鷗外『舞姫』冒頭のフレーズであることが注されている。フレーズの引用によって原発事故は、明治開国以来の西洋近代科学移植に邁進した日本の歴史的時間の流れの中におかれる。石炭、船、森鷗外という名詞によって、「近代」が実体をもった。歴史に潜む何か大きな障碍を暗示して怖い。

 

寺尾は、この歌集の期間に還暦を迎え、三人の孫を得たという。「ドイツへ出向く夫の同行した折の歌」(「あとがき」)がある。そうした体験の過程で培った知見が引用歌の背景にあることが知れる。視野が広く、歌柄がどっしりと骨太であるのはそのためだろう。

 

達者かと問ひくるる父母あらぬ世の隙間埋めてコスモスの花

青ぶだう黒ぶだうよき声を持ち歌ふならずや水くぐるとき

ふと肌が空と触れたり三輪山は山中智恵子の歌の奥津城

 

読み終えて、何ものにも媚びず揺るぎない姿勢が、作歌の根底にあると感じられた。