給油所のうえの虚空はさざなみの沼につづけり 横ながの沼

丸山三枝子『歳月の隙間』(2012年・角川書店)

 

ちょっと遠出をしたドライブ中、そろそろ給油しようかとガソリンスタンドに入る。車を降りて景色を見る。たいていは遠くを望んで深呼吸する。前方の道路ばかり見つめてハンドルを握っていた窮屈から解き放たれるのだろう、当たり前の景色が、とても新鮮に感じられるものだ。

 

遠くに沼が見える。沼と給油所は一つの景色として続いていると気づく。この歌の、面白さは、給油所から沼へと、作者の視線の動く過程が描かれているという点だ。ずうっと視線を動かしながら、「虚空」をとらえ、「沼」をとらえる。そうして、「横ながの沼」を認識する。こんなふうにして、日々、わたしたちの心はモノに近づき、モノを見定め、また遠ざかる。流れにそった自ずからの時間が歌われている。

 

あかときの夢の海にてひたひたと鰭うちたたき泳ぎていたり

誰の手に解かるるならん花束はエレベーターに運ばれてゆく

ぽつねんと壁に掛けられさっきから聞き耳たてている夏帽子

 

歌集タイトル「歳月の隙間」とあるのは、読後の印象にとてもよくあっている。何もない隙間に、心をあずける。それは、短歌の行間に情趣を覚えることと通じている。