薄闇のあなたの底へ降りてゆくわれは言葉の梯子をかけて

                        加藤治郎『雨の日の回顧展』(2008)

 

  人間のコミュニケーションのほとんどは(説によっては90%以上が)、言葉を介さないものだと言われる。

 しかし、それでも、日常の人間関係においては、言葉にしてみなければ、きちんと分かり合っていないのではないかという不安がある。これは、以心伝心を当てにする日本流コミュニケーションでもそうだ。

 この歌では、そういう人と人との気持ちのやりとりの機微を、男女の関係の雰囲気を借りて言っている。

 

 井戸のようなものを想像した。真闇ではないけれど明るくもない、ちょうど「薄闇」のような空間。

 その中に、灯りをともさず、ただ「言葉」というハシゴのみを頼りにして一歩づつ、そよりそよりと降りてゆく。

 ハシゴが壊れてしまったら、もう戻れないかもしれない。「言葉」という存在が人格をもって、自分の全体重を(ギシギシと音を立てながら)支えてくれているような、「言葉」に対する全幅の信頼があるのだ。

 

 日常的シーンとしては、相手の出方をうかがいながらの商談であるとか、夫婦の会話であるとか、もっと生々しいものがあるのだろう。

 加藤治郎は、現実から蒸留されたシーンを切り取り、現実の香りを漂わせながら詩にしてゆくのが巧い。

 そうか。「言葉の梯子」なんだ。

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