リバーシブル! 正義の味方のやうな声発してきみは服うらがへす

秋月祐一『迷子のカピバラ』(風媒社:2013年)


 

① リバーシブルの服なので逆の面で着ようと思って裏返した
② リバーシブルの服ではないけれど、リバーシブルだということにして裏返した
③ 服をたたみながら、裏返ってしまっていたのを直した。初句は掛け声。
④ 服を誤って裏返しに着てしまっていたのを直した。初句は照れ隠し。

初句の「リバーシブル」から結句の「うらがへす」までのあいだに見え隠れするこういった読み筋のいくつかが、服を着ていたり着ていなかったり、元が裏だったり元が表だったり、もともとリバーシブルの服であったりなかったり、可能性の両面をちらちらとみせながら定まらないのは、「リバーシブル」と「うらがへす」がリバーシブルではないからだ。リバーシブルは両面が使える、つまりひとり二役の服だけど、この歌はふたり二役だ。「リバーシブル!」と発した「きみ」がいて、「うらがへす」と(リバーシブルの服の「両面が表」という性質をやや否定するような)認識をする語り手がいる。
「正義の味方」が登場するのもまたふたり二役の世界だ。ひとりで善と悪を兼ねたりはしない。正義のなかに潜む悪や、その逆に目を向けさせたりもしない。正義の味方は正義を負い、悪役が悪を負う、わかりやすい分離がなされていて、アンパンマンがマントをうらがえすとバイキンマンになったりはしない。「正義の味方のやうな声」はヒーローの変身シーンへの連想だと思うけれど、変身する類のヒーローは基本的には同じ役割の延長線上でよりつよい形態になるだけだ。
二句目以下がやわらかく「リバーシブル」に対して「その概念を理解しない」と宣言している。だからこそ意味のない呪文のように喩えられているのだとも思う。一首のなかで置き去りにされる「リバーシブル」は、短歌がリバーシブルではないことを、歌のなかの主体と客体も、歌の外の作者と読者も、あくまでふたり二役であって、入れ替わったりはできないことをじわじわと突きつけてくる。
それでもこの「リバーシブル!」は耳に残る。かわいいもの、小さい生き物に対するやさしい目線で満たされるこの歌集の客体には、ときどきわりとガチな反乱の気配があると思う。

 

ながいながい橋の途中で「シリウスが好きだ」と言つてぼくをにらんだ/秋月祐一