今野寿美『かへり水』(2009)
ブランコを思い切り漕いだことはない、と言われて想像するのは、ブランコを思い切り漕いでいる自分、あるいはだれかに漕がれているブランコである。
重力なのか遠心力なのか、自分の中で確かに経験した、あのスリル感を思い出している。子供の頃には多くの人が(とくに男の子が)経験することだろう。自分の殻を破るといえば大げさだけれど、そんな感覚。
しかし、作者はなぜか「思ひきり漕いだことはなく」と言う。
おしとやかなお嬢さんだったのか、自分の中の何かがいつもストップをかけてしまうような女の子だったのか。
振り返ってみて、多少の後悔があるのかもしれない。(オトナのブランコも楽しいのだけれど。)
そして、難解な下句。難しいけれど、なんとなくわかる。
人生が怖い。人生とはすなわち背中である。その背中が怖い。
大きく踏み出せない自分の人生の怖さ、自分がなにものかまだわからない怖さ。
思い切りブランコを漕がなかったから正しく発散できなかった生のエネルギーの怖さ。
自分をじっとみつめている自分の背中の怖さ。自分をどこかに連れて行ってしまう自分の背中の怖さ。
自分は見ないけれど多くの人に晒している背中の怖さ。そうやって人生が集約されてくる背中の怖さ。
いろいろ言い換えてみて、余計にわからなくなる。それも怖さ。
理屈を超えて伝わる、直感的把握なおもしろさの歌だ。そう受け取っておきたい。