生沼義朗


ペンライトの光の海に飛び込んで私は波の一つのしぶき

加賀爪あみ(2019年宮中歌会始の儀入選歌)


 

1月16日は毎年恒例の宮中歌会始の儀が行われ、午前10時30分から1時間15分の間、NHKでテレビ中継されていた。今年の題は「光」。リアルタイムではさすがに見られなかったので、その日の夜に録画したものを見てみた。宮中歌会始を久しぶりに見てみたのだが、やはり独特の厳粛さや格式の高さを感じる。

 

掲出歌は今回の入選歌のなかで最年少者である、山梨県の高校1年生の作品。歌だけ読んだときは何かのコンサートの客席に居る様子と思ったが、アナウンサーの説明によれば、幕張メッセで行われたゲームのキャラクターによるライブコンサートを、地元の映画館でのパブリックビューイングで体験した際の歌らしい。

 

それを聞いて、三句で「飛び込んで」という動詞を選択した理由に合点がいった。初読の際には、「光の海に」と「飛び込んで」の間に若干の時間があることに不思議な印象を持っていたのだが、ここに隙間があることで「ペンライトの光の海」と作者が違う会場にいることがわかってくる。もし同じ会場にいたとすれば、「光の海に囲まれて」といった表現になってくるからだ。

 

会場が違ってもファン同士が見聞きして感じる情景は同じであり、だからこそ聴衆が一体化してゆく過程がいきいきと描かれている。何より情景がすっと浮かび、しかも「ペンライトの光」が幻想的で美しい光を放っているところに注目したい。ゆえに、日常のなかのたまさかの非日常を掬い得ている。

 

上句で大きな景色を描いたのち、下句で一個人である〈私〉の感慨へと戻ってゆく歌の作りもセオリーを踏まえている。私は海のなかの一つの飛沫に過ぎないという認識には内省が滲むが、卑小な印象はなく、むしろ静かな靱さがある。

 

描かれている景色がいわゆる「ヲタ活」というスラングで呼ばれるものなのだが、歌に後ろ向きな自嘲や湿りがまったくない。しかもこうした歌が歌会始で披講されようとは。20年ほど前にコミケスタッフをしていた身としては感慨と隔世の感を禁じ得ない。短歌の器や歌会始の場が、時代を映す鏡であることをあらためて実感した。

 

他にも触れたい入選歌があるので、次回もこの話題を続けさせていただきます。