村上和子あたまより鴉飛び立つ反動をわれの頸部は長く記憶す

村上和子第三歌集『しろがね』(青磁社・2017年)


 

今日の一首は、以下の三首連作の最後の一首になる。

 

「反動(鴉三首)」

・わが頭を一瞬がしと摑みたる鴉のをりし図書館の森(※「がし」のところに傍点「・・」が付く。)

・嘴太鴉(はしぶと)の爪が残せる感触の痛みに変はる家へ着くころ

・あたまより鴉飛び立つ反動をわれの頸部は長く記憶す

 

短歌において、三首連作というのは案外珍しいし、歌集『しろがね』中でもこの「反動(鴉三首)」のみである。そして、この三首に、私は三首連作という形式の可能性を思った。

 

・わが頭を一瞬がしと摑みたる鴉のをりし図書館の森

 

一首目において、まず、何が、どこで起こったかが端的に説明されている。
といっても「わが頭を一瞬がしと摑みたる」という唐突な出だしは、出来事の唐突さを直接に表しているのであり、「一瞬がしと」はこの時点ではまだ鈍い感触があるだけだ。
「鴉のをりし図書館の森」となんだかまだ茫然自失の感である。

 

・嘴太鴉(はしぶと)の爪が残せる感触の痛みに変はる家へ着くころ

 

それが、二首目において、「嘴太鴉(はしぶと)の」という存在への意識が明確になり、「爪が残せる感触の」と、わが身(頭)に起こったことの次第が、はっきりと認識されはじめ、この「爪が残せる感触」が「痛みに変はる」。
それでも「家へ着くころ」という結句はまだぼんやりしている。

そして、今日の一首。

 

・あたまより鴉飛び立つ反動をわれの頸部は長く記憶す

 

ここで、「反動」という言葉が発見される。
この「反動」は当然、鴉が飛び立つためにかけた力であり、鴉が飛び立つにあたり村上さんの頭にかかった力である。村上さんの頭上において起こった力学――「反動」を通して、ここには、力をかけた側とかけられた側の姿態がありありと描き出されている。縦書きで読めば、この「反動」を起点に上へ飛び立つ鴉と、下に残される村上さんと、歌が上下に分かれる。そして、残された村上さんの側に「われの頸部」という言葉が改めて発見されるのは、彼女は頭にかかったその「反動」を首でもって、耐えた、つまり「反動」という振動を通し、己が身に起きたこの出来事が身体的感覚として実存的に残されたのである。「われの頸部は長く記憶す」という「記憶」のありようは、鴉が自分の頭をジャンプ台に使った、なんともいえない嫌さと屈辱が身体と精神の両面から「長く記憶」されているのであり、まさにこの一首の全身によってじわじわと感受されている。

 

この歌は一首単独で見ても、一分の隙もない完成度があり、見事だと思う。
それに加えて、三首で読むときの、ある一点の出来事に対する人の認識の経過、というものが、この見事な三首目を生み出す経過にもなっている。三首という、極めて簡素な形式によってこうした経過が描き出されるところ、上質な短編のような味わいがある。