生沼義朗


笹井宏之/やむをえず私は春の質問としてみずうみへ素足をひたす

笹井宏之『えーえんとくちから』(PARCO出版・2011年)
※『えーえんとくちから』は2019年にちくま文庫から文庫化されている。


 

笹井宏之が、2009年1月24日に26歳の若さで亡くなって10年。早いものだと思いつつ、笹井の歌集を繙く。取り上げる日にちが1回ズレてしまって申し訳ないし、自分には理解のおよばない歌も少なくないのだけれど、10年の歳月を噛みしめながら書いてみたい。

 

掲出歌は、湖の波打ち際に素足を浸す行為を「春の質問」と捉えたところにセンスと機知を感じる。「やむをえず」は同行した誰かに促されたので仕方なく、と解釈した。誰と同行したと書いていないし、相手が単数か複数かもこの歌からだけでははっきりしない。それどころか、「やむをえず」がなければ一人で湖に赴いたとさえ読め得るのだが、やはりここは恋人と二人でという場面を想像する。それは「やむをえず」から一首を詠い起こしているからに他ならない。この初句からは人間関係や数種類の感情、テンションの微妙な変化を感じ取れて絶妙である。

 

さらに興味深いのは、初句の「やむをえず」や「質問として」といった言い回しはどうしても理が先に立ってしまいがちなのだが、理屈っぽさはまったくないことだ。

 

 

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って
半袖のシャツ 夏 オペラグラスからみえるすべてのものに拍手を
空と陸のつっかい棒を蹴飛ばしてあらゆるひとのこころをゆるす
つよがりの筋肉たちをストーブの前でややありえなくしてみた
ほんのすこし命をおわけいたします 月夜の底の紙ふうせんへ
愛します 眼鏡 くつひも ネクターの桃味 死んだあとのくるぶし
感傷と私をむすぶ鉄道に冬のあなたが身を横たえる

 

 

他のどの歌も濃淡の差はあれど、比較的広々とした空間とひかりを含んでいるとあらためて気づかされる。クリアファイル、オペラグラス、ストーブ、ネクターなどのひかりをおのずと含んでいる道具立てゆえだけでなく、歌そのものがひかりを含んでいる。空間は世界ひいては自由への、ひかりは生命への希求そのものだ。

 

『えーえんとくちから』を読んであらためて感じたのは、自分にとって笹井の歌は採れる歌とそうでない歌の差が比較的大きいのだが、いわゆる秀歌と感じる歌が決して少なくないことだ。人によって評価する歌は違うかもしれないが、この本に秀歌がまったくないと受け止める読者はいないだろう。誰が読んでもその歌一首を評価するという意味ではなく、誰が読んでも一冊のどこかの歌を高く評価する意味で、笹井の魅力には全方位性がある。そしてそれは紛れもなく表現者の得がたい資質である。

 

見逃してならないのは、笹井の歌には先程述べた空間やひかりとともに、祈りが含まれていることである。これは宗教の影響といった類いのものではなく、もっと根源的な人間への愛や関心に基づくものだ。笹井の作品が今でも多くの人に愛されていることは疑いようがないが、おそらくは祈りが多くの人の反応を呼び起こすのである。

 

命日の1月24日には、ツイッターで笹井宏之を偲ぶツイートが多く見られた。これも笹井の歌の持つ魅力と吸引力を示している。『えーえんとくちから』が刊行してわずか数日で重版が決まったのも頷ける。