生沼義朗


糸田ともよ/さみしいひとかげがゆめのしんになりぎんがをだいてかたむいてくる

淋しい人影が夢の芯になり銀河を擁いて傾いてくる

 

糸田ともよ『しろいゆりいす』(コールサック社・2018年)

 


糸田ともよは「月光」「弓弦」「蓮」を経て、現在は無所属。『水の列車』(2002年・洋々社)につづく第二歌集となる。

 

ゆきのよのえほんのいえのほのあかりゆうらりゆれるしろいゆりいす
(雪の夜の絵本の家の仄灯りゆうらり揺れる白い揺り椅子)
しめやかにじゃのめもようのはねあわせ くちゆくくげにどうかするちょう
(しめやかに蛇の目文様の翅合わせ 朽ちゆく供花に同化する蝶)
きょうりにはひぐれのはやいもりがあり かぜなきひにもゆれるきがあり
(胸裏には日暮れの早い森があり 風なき日にも揺れる樹があり)

 

『しろいゆりいす』が一読して特徴的なのは、収録されている144首すべてがひらがなだけで表記されており、その脇に漢字変換を施した同じ歌が、やや小さな級数で配置されていることである。ひらがな主体で表記していることについて、「二〇一四年から新創刊の同人誌「蓮」に参加して作歌を再開したとき、言葉は自然にひらがなで紡がれました。(略)ひらがなの流れには言葉が言葉を招び、言霊と言霊が融合して四次元的な観念を生むような瞬間もあり、そんなとき短歌の三十一文字は、この界(よ)と他の界(よ)を隔てる扉を開けるための特別な呪文にも思えます」とあとがきで述べる。

 

これは、ひらがなの柔らかさがもたらす対象の異化効果と、一首の短歌をすべてひらがなで表記すると、字面のひらがなが眼に入って脳内で音声として再生されるときに、おのずとリズムが不思議な滞空時間を含んでくることを狙っているのだろう。

 

『しろいゆりいす』は組版も一頁一首組で、一首一首がゆったりとした時間を含む。本文用紙も通常の歌集よりは白っぽい紙を使用しており、歌集を論ずるときにこうした点を指摘するのは枝葉末節と思われるかもしれないが、少なくともこの歌集に関しては、外形的なハード面の特徴は作品世界に大きな影響をあたえていることは無視できない。

 

また、漢字変換した歌を横に配置したのは、「一首の孕む風景のひとつ」とも糸田は述べており、あくまで解釈のひとつというスタンスを取っていて、これも興味深い。

 

掲出歌は難しい言葉はなく、夢の中の淋しい人影がやがて夢の芯になって、銀河を抱きながら傾いてくるという意味内容はとりあえずわかるが、具体的にどのような景色を思い浮かべるかはなかなか難しい。

 

そもそも「さみしいひとかげ(淋しい人影)」は、「さみしいひと(淋しい人)」とは異なる概念である。「ゆめのしん(夢の芯)」も、わかるようでわからないが、誰もがある程度以上のイメージはつかめると思う。自分は、ぼんやりと人の形をした影が夢の中心をゆっくり占めてくる像を思い浮かべた。「ぎんがをだいてかたむいてくる(銀河を擁いて傾いてくる)」も、「だいて(擁いて)」が解釈を一筋縄でいかなくしているところがあって、これが「ぎんがとなってかたむいてくる(銀河となって傾いてくる)」なら、わりとすんなり入ってくる。だが、糸田にとって「だく(擁く)」イメージはやはり外せなかったのだろうな、とも感じる。

 

いろいろ言ってしまったが、それでもほとんどの読者は糸田独特の幻想的な雰囲気を作品から感受するだろう。読者はこの雰囲気を味わえばよいのであって、その雰囲気のためのひらがな表記であり、種々の道具立てであり、またゆったりとした口誦性を持った韻律を選択しているのである。