生沼義朗


安井高志/子供たちみんなが大きなチョコレートケーキにされるサトゥルヌス菓子店

安井高志『サトゥルヌス菓子店』(コールサック社・2018年)


 

安井高志が2017(平成29)年4月23日に、32歳の若さで事故により他界して2年。今年の命日で三回忌となる。『サトゥルヌス菓子店』は、安井が参加していた歌誌「舟」の仲間であった依田仁美や加部洋祐ら、および二人誌「無責任」を発行していた清水らくは、そして安井の母安井佐代子(「短歌人」に所属していた歌人でもある)によってまとめられた第1歌集であり、遺歌集である。

 

掲出歌は集題歌でもある。サトゥルヌスはローマ神話に登場する農耕神で、ギリシア神話のクロノスと同じものとされ、土星の守護神でもある。サトゥルヌスには、自分の子供に将来殺されるとした予言を受け、恐れをなしたサトゥルヌスが5人の子供を次々に飲み込んだという伝承がある。それをモチーフに描かれたのがルーベンスの「我が子を食らうサトゥルヌス」であり、またゴヤも同じ伝承をモチーフに同じタイトルの絵を描いている。ちなみにサトゥルヌスは英語ではサターンと言うが、こうした伝承のせいか悪魔の意味のサタンと混同されることがある。サターンとサタンは綴りも発音も語源も異なる別の言葉だ。

 

掲出歌が、サトゥルヌスの伝承を踏まえていることは間違いない。子供たちがみんな大きなチョコレートケーキに変えられてしまう菓子店という舞台には、グリム童話的な負のファンタジーがある。安井の歌は、神話やファンタジーに通じる要素が強くその分現実の手触りは薄いのだが、たとえば

 

 

髪の毛が塩をふく朝焼けにただただ真っ白い兄さんのシャツ

 

 

などの歌を読むと、現実や自身の体験に興味がなかったり描いていないのではなく、現実や自身の体験を取り込んだ上で該博な知識や方法論をもとに意識的に自分の作品世界へと塗り替えていることがわかる。『サトゥルヌス菓子店』は、その現実と作品世界がグラデーションをなしている。

 

安井高志には何回か会った記憶があるが、最後に会ったのは2016(平成28)年2月20日の「加部洋祐第一歌集『亞天使』をめぐる「闘論会」」で、自分は司会を仰せつかっていた。20人ほどの小規模な会で、「討論会」ではなく「闘論会」という名が示す通り、酒も入ってないのに紛糾した会も少ない。理由は、ひとえに参加者のさまざまな価値観に対して説得力ある誘導ができなかったからで、加藤英彦、柳下和久両氏のご助力でどうにか乗り切れたことを今でも多少の苦みとともにまざまざと思い出す。

 

この会の「ライブ版」が「扉のない鍵」の創刊号に掲載されているので詳細はそちらに譲るが、なかでも実にまっすぐな意見を語り、他の参加者の発言に率直な疑義や怒りをぶつけていたのが安井だった。現代短歌や文学ひいては現実や社会の現状に心から苛立ち、真剣に絶望し、真摯に詩歌の将来を憂い考えていたのだ。

 

『サトゥルヌス菓子店』一冊を読むと、安井の作品世界はそうした思いを具現化するための方法論だったのではないかとの思いを強くする。その思いが志半ばで断ち切られてしまったことを心から惜しむし、呆然とした思いは未だ抜けない。