花山周子


山川藍/ねこたちが居間でうろうろアドベンチャー ピアノに乗ってさらに欄間へ

山川藍第一歌集『いらっしゃい』(角川書店・2018年)


 

ねこたちが居間でうろうろアドベンチャー ピアノに乗ってさらに欄間へ

 

これほど、しまりのない歌は探そうと思ってもなかなか見当たらず、私の山川藍の好きな歌ベストにとうとう鎮座してしまった歌だ。

 

「ねこたちが」という平仮名書きの「ねこ」に「たち」付けで、だらしなくはじまり、
「うろうろ」と「アドベンチャー」は同じセンテンスに入れられたところをあまり見たことがなく、別にうろうろとアドベンチャーしたって構わないはずなんだけど、残念ながら人間界では、「私は今日、うろうろとアドベンチャーしました」と報告したり、「彼はその時うろうろとアドベンチャーをしていた」と叙述する機会がないだけで、猫の世界であれば「うろうろアドベンチャー」するのはごく当然で、「居間」(「アドベンチャー」)「ピアノ」「欄間」という和洋が混在するその中を自由気ままに乗ったり下りたり、乗ったり、さらに乗ったりする、猫にとっての室内の空間があり、「ピアノに乗ってさらに欄間へ」の「さらに」に特にがんばる風情はなく、悠然と移動してゆく猫のシルエットが見えてくるのは、この歌はほとんど破調ではないのに(唯一の破調は「アドベンチャー」の六音、といっても、くっきりした六音ではなく、間の抜けた六音)全体がのったりしていて、定型感がまるでないためでもあり、定型感がまるでないのは、歌の中を実際にねこたちがうろうろアドベンチャーしてしまっているからにほかならず、子猫ではない、わりとでかい何匹かの猫の、その体の大きが視界を過ってゆく状態が、歌の骨格を軟弱にするのはある意味当然で、ここでの「ねこたち」は、モチーフでありながら、モチーフでない。私が見つめる猫、私と対峙する猫、私が目撃した猫、というような猫ではなく、つまり私の対象として猫はここにいるのではなく、勝手に動き回っている。歌を統制する私がいないこの歌で、猫は本当の主体であり、しかも何匹もいるのだ。

 

科学館 子どもが走り回るなか一人でパンを食べて休まる

 

山川藍の歌の世界では、現実界と同じく、みな勝手に生きていて、その中に山川藍がいる。