前川佐重郎/鉛筆の描ける空の鋭きに一羽の鵙(もず)の研ぎて降下す

前川佐重郎第一歌集『彗星紀』(1997年・ながらみ書房)


 

鉛筆画の画面が詠われる。さらっとしたデッサンではなくて、丹念に描き込まれた一品だと思うのは「鉛筆の描ける空の鋭き」という表現。B系のやわらかな鉛筆じゃなくて、硬いH系の鉛筆でがりがり描き込まれた印象がある。そして何よりも「研ぎて降下す」によって、この画に鋭い線が描き加えられた。「降(くだ)れり」などと訓読みにしていればこの感じは出ない。「降下す」という硬い漢語表現が、一つのタッチを生んでいるのだ。

 

この歌は、ある鉛筆画を描写(説明)しているというよりも、この歌自体が、一つの鉛筆画を描いているように見える。言葉の一つ一つが鉛筆の線でありタッチのように見えてくるのだ。そして、そういうタッチの在り方が短歌では珍しい気がする。

 

前川佐重郎は、1943年生まれ。佐藤通雅、福島泰樹、伊藤一彦らと同世代になり、学生の頃に早稲田短歌会に所属していたが、その後長く短歌から離れている。第一歌集『彗星紀』は54歳のときに出されたもので、あとがきには、

 

短歌という疲労した詩型に屈託して現代詩にいった自分であったが、(略)佐美雄(※筆者注:前川佐美雄・1990(平2)年死去)の死後、一年半を経て、平成四年より「日本歌人」の編集を引き受けることになった。(略)現代詩に些か染まったぎこちない手法をもとに、再び歌に向かった。不思議な潤いと手触りを感じながらつくり始めた。それは同時にこれまで近くしたしんできた小説や現代詩などとの接点と距離をたしかめる日々のようなものだった。

 

と書かれていて、この、「現代詩に些か染まったぎこちない手法をもとに、再び歌に向かった」、「不思議な潤いと手触りを感じながらつくり始めた」という言葉に、「短歌」という詩形そのものに対峙する新鮮な向き合い方があるように思う。まるで線を引いては消すようにして「歌」というものが探られている印象があるのだ。

 

稲妻と語れる夜の団欒に閃(せん)として彫る貌(かほ)のふかさは
鋭角に裁(き)られし磁器の真底にて角砂糖崩るる夜半(よは)の荘厳
恐竜の骨組みひとつ佇める風吹きてゆふべ何処(いづこ)発たしむ
沈黙の葉をわたりゆく蛞蝓(なめくじ)のひとつ筆跡の条(すぢ)めざめゆく
雨あとの鮮やかにして坂の上(へ)を降りくるひとりの骨に向きあふ

 

たとえば、これら5首を見るとき私の脳裏に浮かぶのは、黒い線が緻密に刻まれた銅版画の画面である。3、5首目のように「骨」という語が多く登場するのもこの歌集の特徴で、フォルムよりも骨格、面よりも線が扱われる。切り立った繊細で硬質な筆致が、ひとつのイメージを構築していくこの感覚は、「短歌」をひとつの支持体として自分の外部に配置しているからに他ならないのではないか。それが、とても面白いと思うし、不思議なほど清潔な感じがする。