橘夏生/二十三階のバルコニーにて川本くんを待つわたしは大阪ジュリエット

橘夏生『大阪ジュリエット』(青磁社・2016年)


 

あでやかな鞭となるべし浴室に水仙一茎をわれは見おろす
羅(うすもの)をまとへばつねに身になじむわたくしといふ存在はこれ
性愛なぞに誰が惹かれる湯の底にわがくるぶしがうすく光れば
姫皮の梅肉あへの鉢はさみこゑひくくわれと妹の会話
死ななくてもすむ自由をしをしをと君とわけあふ桜桃忌かな

 

 

橘夏生(たちばな・なつお)は「短歌人」の同人。年齢は自分より干支一回り強上くらいだが、歌歴は自分が「短歌人」に入ったときにはすでに一番上の欄にいたほどのベテランである。

 

今回はあえてまず第1歌集『天然の美』(雁書館・1992年)から何首かを引いてみた。自身が第2歌集『大阪ジュリエット』のあとがきで述べる通り、橘の歌の特徴は「耽美でデカダンな歌」である。何首かランダムに引用しても、その特徴は一目瞭然だ。

 

文体は前衛短歌の、とりわけ塚本邦雄の影響を強く受けており、名詞の一首への取りこみ方などは仙波龍英や藤原龍一郎の影響も指摘できよう。

 

作風は基本的に見たものを詠っており、現実に存在しない事物を空想したり大規模なフィクションを持ちこむことはない。しかしどの歌も独特の美意識で満たされており、その美意識が浴室の水仙を「あでやかな鞭」と変え、羅を纏う身体を非日常的かつ高貴なものへと歌のなかで変貌させる。言ってみれば、美意識が歌に詠まれたモチーフを異化するフィルターの役割を果たしている。そのフィルターがデカダンで耽美ということだ。

 

もちろんこのフィルターは好き嫌いが相当わかれるため、読者をも選別するフィルターとなっていることは容易に想像がつく。しかし『天然の美』を読むと、一首一首は簡潔に描写されていてくどいところはない。もしくどさを感じるとしたら、それは自己賛美と通底しやすい抒情質と、橘の美意識が読者の美意識や評価軸になじまないからである。

 

ここで掲出歌の背景に触れておくと、「川本くん」は川本浩美で、橘の長年のパートナーであり「短歌人」の同人でもあったが、2013(平成25)年に亡くなっている。「二十三階のバルコニー」は自宅のベランダだろう。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』でジュリエットが恋人であるロミオをバルコニーから見下ろしながら恋の苦悩を嘆いたシーンをもちろん踏まえているから、夜の場面である。もっとも23階からでは見下ろすことは困難だから、故人を偲びながら物思いに耽っているのだろう。「大阪ジュリエット」も、自身をジュリエットに重ねあわせた何気ない措辞に見えるが、生まれ育った地である大阪に対する矜恃が滲んでいる。

 

話はやや前後するが、掲出歌を評価できない人はまったく評価できないのではないか。ただ、一首の韻律がやや緩いとの指摘には頷くが、自身のことを「わたしは大阪ジュリエット」と言いきる感覚への拒絶反応であれば、それには賛成しない。

 

 

童子ありましろき毬をまろばせば白猫(はくべう)二匹となりにけるかも
「狛犬一個ここに眠る」とふ立札に冬の陽のふる廃れし神社
母の顔つぎにみるのは死顔にせよと主治医は云ひぬパキラのかたへ
死者の領あれば五月の死者つかはせよレインコートの寺山修司

 

『大阪ジュリエット』は6部構成だ。Ⅰは川本への挽歌だが、Ⅲであたらしい夫を得たことがわかる。それ以外でも、1首目はたしかに第1歌集の世界観に明確に連なるが、2首目はたっぷりとした生活感を含みつつも所帯じみたところはなく、地に足のついた歌だ。3首目は歌集のもう一つの大きなテーマである、「いま流行りの言葉で云うと、いわゆる「毒母」」(あとがき)を詠んだもの。川本浩美に限らず死者を詠んだ歌も多く、髙瀬一誌や小中英之や仙波龍英を偲ぶ歌もある。歌の道具立てにはレトロなものも時折あるが、適度に時事を含んでいて単なるノスタルジーに陥っていないのも長年の修練の賜物だ。

 

はっきり言ってしまえば、『天然の美』での橘は興味を持てないものや美意識にそぐわないものは一切詠まない作風だった。それはまったく悪いと思わない。対象をいかに詠むかはもちろん、何を詠むかに歌人のアイデンティティーや作家性が如実に出るものだから。

 

しかし、『大阪ジュリエット』は一人の人間の喪失と再生を描いた歌集であり、否応なく詠まざるを得なかったと感じる。橘が詠みたくもないのに無理に詠んだとはゆめゆめ思っていないが、結果的に今回の内容を詠むことは橘にとっての関門だった。したがって、この歌集を経て橘があらたな作品世界の地平を開いても、『天然の美』の世界に戻ってもそれは構わない。どちらに進んでも橘の魅力的な歌が展開されることは間違いないからだ。そのときに美意識がキーワードになるであろうこともまた間違いがない。標題歌ともなった掲出歌は、はからずも美意識と関門の間に架かる橋の役割も果たしている。