生沼 義朗


鈴木香代子/教科書に宮沢賢治を読む窓に金剛石のひかり来ており

鈴木香代子『青衣の山神』(ながらみ書房・2016年)


 

鈴木香代子は「心の花」所属。『青衣の山神』は「せいいのやまつみ」と読む。30年近い歌歴を有する鈴木の第一歌集で、1990(平成2)年から2009(平成21)年までの約500首が収められている。鈴木の仕事は小学校教師だが、母親、さらに長野の伊那の風土の3つの要素から『青衣の山神』は成り立っている。

 

9月に入って夏休みが終わったこともあり、今回はあえて学校教師の歌を重点的に読みたい。掲出歌は授業中の一齣。教科書に掲載された宮沢賢治の作品を授業で読んでいる。何を読んでいるかは読者がそれぞれ想像すればよいが、『風の又三郎』や『銀河鉄道の夜』あるいは『注文の多い料理店』といったオーソドックスな作品であることは間違いないだろう。おのおのに黙読させているとも読めなくはないが、やはり誰かひとりの児童が音読して、他の児童はそれを聴きながら教科書を目読している光景を想像する。教師である作者が授業中にふと教室の窓を見たら、金剛石つまりダイヤモンドのような光が窓ガラスに来ていた。歌意としてはそういうことになる。

 

初句の「教科書に」と三句の「詠む窓に」で「に」が重なる点は歌会などでは指摘されるところだろうし、気になる読者もいるかもしれないが、初句の「教科書に」は「教科書の宮沢賢治作品」と「教科書によって」の両方の意味に掛かるので、ここを「の」にしてしまうとニュアンスが半減してしまう。

 

一首の眼目はもちろん、「金剛石のひかり」と「宮沢賢治」の取り合わせだ。「金剛石のひかり」は硬質で強い光を思わせる。この歌の2首前に

 

 

垂直に太陽そそぐ校庭に樹影縮んで白き夏時間

 

 

というこれも印象に残る歌があるので、夏の激しい陽ざしを想像しておいて差し支えないだろう。いずれにせよ宮沢賢治の作品と「金剛石のひかり」の硬質で強いイメージが不思議な相乗効果を産んでいる。「宮沢賢治を読む窓」も短歌独特の省略の効いた言い回しだが、ここにも宮沢賢治の作品世界に繋がってゆくような独特の異化がある。

 

鈴木の教師としての歌は、児童の姿や心を描きつつ自身の内面を客観視しており、そこに深いうねりと魅力がある。小池光が栞文で「二十年間の歌作を一冊にまとめて、(略)作者がいい先生であるのは確信できた。」と書いているが、自分も深く頷くものがあった。『青衣の山神』を読んだ人はみなそう思うだろう。ベテランになっても児童と一緒になって揺らぎ、煩悶する教師像に共感しつつ信頼を抱くからに他ならない。