生沼 義朗


上野久雄/しずまらぬ咳にうずくまるときのまも消し難し白き逃げ馬の影

上野久雄『夕鮎』(不識書院・1992年)
※『夕鮎』は砂子屋書房の現代短歌文庫45『上野久雄歌集』に一部収録されている


 

上野久雄は1927(昭和2)年、山梨県生まれ。横浜市内の結核療養所に入院していた21歳のとき、療養所内の短歌会の指導をしていた近藤芳美と知り合い、作歌を始めた。のち「アララギ」に入会して土屋文明の選を受けつつ、1951(昭和26)年に「未来」の創刊に参加。1983(昭和58)年には「みぎわ」を創刊して主宰となっている。2008(平成20)年9月17日に亡くなった。享年81。

 

上野には遺歌集を含めて6冊の歌集があるが、『夕鮎』は第2歌集。上野の競馬好きはよく知られたところで、掲出歌も競馬場を詠んだ一連「最終レース」の一首。咳が鎮まらないのは作者自身であり、思わずうずくまってしまった。その間でさえも逃げ馬の影が脳裏に漂っていた。「白き逃げ馬の影」はレースを走っている馬と読んだが、だとすれば現実には白馬の競走馬は少ないので、実際は芦毛と考えるのが妥当だろう。同時に上野の心象風景も重ねられており、だからこそ「白き」や「逃げ馬」といった読者にあざやかな印象を残す語の斡旋をしているのだ。一連の他の歌はいかにも賭博場のリアルと馬に一瞬の夢を託すロマンがいきいきと描かれるが、この歌はどちらかというと実景を描きつつ詩の方に寄っていて、ここに上野の事物を見る視座と詩を紡ぐ技能を見るのである。

 

 

書き損じたる不祝儀の袋一つ卓に残して妻あらぬかも  『夕鮎』
卵黄(きみ)だけを殻より落とすゆびさばき幼き日より卵はくすり  『バラ園と鼻』
シースルーエレベーターは大いなる炎の如く聖夜を昇る  『冬の旅』
剃り落とすことはいつだって出来るから 涙ぐましき髭のおはなし

 

 

上野の歌はどれも日常の風景を一見低い視線から捉えながら、一首一首に詩があるのはもちろん、人間社会を見通すかのような視線の鋭さと深さがある。だが斜に構えた筆致や必要以上に飄々となったりはしない。常に生きるものへのあたたかな視線が保たれ、独特の読後感につながっている。

 

上野は口髭がトレードマークだった。実は話すことはできなかったが、上野には1回だけお目にかかったことがあり、17年前に甲府の湯村温泉での「短歌人」夏季全国集会初日のオープニングパーティに、桃や葡萄などの果物の差し入れを持って来られたことがある。スピーチでは訥々と話しながら、話の内容に不思議な説得力があったことを覚えている。

 

瞥見に過ぎないが、歌を読むとそうした人柄の印象が立ち上がってくる。それは思い込みや偶然ではなく、歌と人がリンクした作品を長年作ってきたことと深く関わることだ。よく言われる〈文は人なり〉や〈歌は人なり〉は精神論ではなく、ましてや自身が体験したことを忠実に歌にせよということでもない。文学に限らず、芸術作品には人間の思考や哲学が図らずも出てしまう。だからこそ怖いし、ある時期まで人格の陶冶と作品の上達がセットで語られやすかったのだ。そして人格と作品をリンクする歌の作り方や読み方は、短歌の生理に適った方法とも言える。だからこそ近代以降の短歌における大きな流れのひとつとなり得たし、今後も一定のニーズは残るはずである。

 

話が長くなったが、上野のこうした歌の作り方は、「アララギ」で歌を作り始めたことともちろん無縁ではない。歌と人がリンクした作品の発展と進化は、まだまだ短歌のあたらしい展開の処方箋たり得る。その可能性を上野の歌を読みながら考えていた。