久々湊盈子/咲き盛る白さるすべりを揉みしだく南西の風ゆううつニッポン

久々湊盈子「黒きうねり」/「うた新聞」2019年9月号


 

今の日本が憂鬱だと感じている人がどのくらいいるものか、わからない。令和で盛り上がり、ラグビーに盛り上がり、来年はオリンピックに盛り上がる日本は憂鬱ではないかもしれない。けれども、少なくとも私はここのところかなり憂鬱である。憂鬱すぎて、テレビをつけることさえできなくなってきた。子供番組は娘がつけるけど。そんなある日、この歌を目にして、胸がすくような気持を覚えたのである。

 

四句にいたるまで、私は優れた叙景歌として読んでいた。けれども結句において突然、「ゆううつニッポン」となったことにまずは驚いたのである。そしてこのなんともいえない妙にうれしくなった。

 

さるすべりのあのとりとめのなく騒立つ花の咲きようが「揉みしだく」という言葉によって眼前に浮かぶ。それだけで何か涙ぐましいような景である。そしてこの描写のうまさが一首に対しては力を与えることになる。当然ながら「揉みしだく南西の風」も力を与える。そうして「ゆううつニッポン」。まるでおかみさんがぱちんと手を叩くようにして言ってのけるのである。こんな痛快な「ゆううつニッポン」が他にあるだろうか。なにはともあれ、なのである。そこに、気迫がある。

 

片足をあげて恚(いか)れる蔵王権現も人知れず休むときを得るべし 『世界黄昏』

酒の座に呼び捨てに取沙汰されいしと聞くわれの名のいたわしきかな

無能な長(おさ)は敵よりこわい 春潮に打ち上げられしイルカ百頭

老いは老いに女は女にきびしくて二月の風が耳につめたい

総活躍の一億人の一人にて今日は勇躍バーゲンへ行く

聖堂に孔子像大きく手を組みて今こそ乱世と遠き目をせり 『麻裳よし』

自己愛の最たるものにてしねしねと己が身を舐め飽かざるよ 猫

 

こうした歌歌の物事・事物への切り込み方には人を食っているようでいてその底には一貫した人情味が流れている。あっけらかんとして見えるのは、なんだかんだは承知の上の腹のすわった気迫によって歌が成されているからである。だからこそ人を安心させることができるのだ。だいじょうぶよ、と言ってくれる人がここにいる。

 

久々湊盈子に「ゆううつニッポン」と言ってもらえてスカッとするのはおそらく私だけではないと思えり。