辻村雅子/あとかたは何もなけれど平林寺という地名残れりそれのみである

辻村雅子『柿実る』(短歌研究社・2019年)


掲出歌の作者辻村雅子は、1939(昭和14)年栃木県足利市生まれ。1981(昭和56)年「個性」に入会、2004(平成16)年に「熾」の創刊に参加している。

 

個人的な関心として、一首の歌や一連の作品あるいは一冊の歌集で時間を描くことを近年いろいろと考えている。最近取り上げた作品としては松平修文小島熱子の歌が時間そのものを描いていた点で印象的だが、そこまで意識的でなかったとしても、歌集を編むとき多くの歌集で程度の差はあれ時間の流れが反映される。近代以降の短歌が人生の軌跡を短歌形式に刻みこむ方向に深化していったことが大きい。編年体で歌集を編むのは最たるものであり、たとえば7月27日7月30日に取り上げた奥山善昭などのように、アララギの影響を強く受けた歌人の歌集の目次は「平成○○年」といった大きな章立てがあり、そのなかに小見出しが並ぶ。

 

辻村雅子の第1歌集『柿実る』にもやはり時間の流れは如実に反映されている。辻村は埼玉の岩槻で主婦としての生活を長く過ごしてきた。歌集に描かれる題材は、家族や家庭に関する事柄や旅行詠、あるいは自分の身体にまつわることなどである。そうした事柄を丹念に歌にして一首一首を着実に積み上げてきた集積が『柿実る』だ。そして、現在刊行されている歌集の多くが辻村のような歌集のスタイルであり、言ってみれば短歌界のひとつのコアをなす領域でもあることをこの機会に押さえておきたい。

 

掲出歌は歌集後半の「寺跡」と題する一連5首の最終首である。「平林寺」は650年以上の歴史を持つ古刹で、現在のさいたま市岩槻区に創建されたが350年ほど前に現在の新座市に移転している。松平信綱の墓所や関東を代表する臨済宗妙心寺派の僧堂があることでも知られる。

 

 

平林寺跡を矢印に従えど広い田圃に出てしまいたり

迷いつつ探し当てたる寺跡は畑の隅に碑がたつばかり

 

一連の他の歌を読むと、岩槻にあった平林寺の寺跡をふと思い立って訪れたことがわかる。迷ってようやく探しあてたが、畑の隅に碑があるだけで往時の面影はない。ただそれだけの意味内容が短歌形式に切り取られることで、他の人にとってはどうでもいいことかもしれない事柄でも、作者の心は間違いなく反応している様子が伝わってくる。

 

「短歌は人間の体温にもっとも近い詩形」と言ったのは三枝昻之だが、そうした特性がこの歌でも如何なく発揮されていて、同時に歌集を読むなかで時間の厚みを感じる。時間の厚みは、やはり長い時間を経験した人間でないとなかなか表現できない。年齢によって作品の魅力が異なるのはそうした理由にも基づくのである。