田中拓也/「さがなし」の意味を説きつつ思い出す者三人(みたり)あり心の中に

田中拓也『東京』(本阿弥書店・2019年)


 

田中拓也の第4歌集『東京(とうけい)』を一気に読んだ。2011年から2018年までの7年間に発表した作品約5百首が収められている。集題は、明治の初めには東京を「とうけい」とも呼んだ(「とうきょう」と「とうけい」が混在していた)ところから採られている。『東京』は9部構成で、掲出歌の入っている最後の章は歌集題と同題の「東京」一連30首のみで構成される。歌集名と同題の一連が巻末に独立して置かれたところに、この一連に対する田中の強い思い入れと強い主題意識を見る。

 

田中とは年齢が近いこともあって、第1歌集の『夏引』からほぼリアルタイムで注目して来た。前の歌集『雲鳥』から8年の間に田中は千葉県内にある実家への転居と、都内の高校への転職を行ったとあとがきにあり、40歳代後半という年齢はさまざまなことが起こりえることをあらためて感じる。田中は国語の教師だが、伊藤左千夫が最晩年を過ごした地に勤務校があるところから詠まれた

 

 

江東区大島(おおじま)は伊藤左千夫が最晩年を過ごした地。

朝霧の乱るる水神森に立つ伊藤左千夫の眼(まなこ)思えり

 

 

の歌から「東京」一連を詠い起こす。前半は

 

 

永久(とこしえ)の闇を抱きて流れゆく暗渠の底の砂の静けさ
校庭に朝の光は広がれり帰らざる日々白く輝く
大島の団地の壁に映りたる雲の影ありしばし動かず

 

 

と、勤務先のある「東京」の景色を堅実に詠いながら人生の感慨を滲ませてゆく。掲出歌は8首目の歌。古典の授業中を詠んだもので、形容詞「さがなし」の意味を生徒に説明している。「さがなし」は、①性格が悪い。ひねくれている。意地が悪い。②口が悪い。口やかましい。③やんちゃ・いたずらである。などの意味があるが、語の意味を説明しながら田中の脳裏には思わず3人の人物が浮かんだ。「さがなし」が先に挙げた3つのどの意味を指すかや、人物の年齢や性別などのパーソナリティは読者がおのおの想像すればいい。授業中だしプライベートな事柄でもあるから、もちろんそんなことを口にはしないが、結句で「心の中に」とあえて述べるのは田中の含羞の現れに他ならない。仕事の歌だが、同時に人生を問い直す錘が作者の内部に下ろされてゆく歌でもある。

 

 

大島の名は元禄期の記録に残る。

幻の海岸線に打ち寄せる波音を聴く自転車を漕ぐ
とうけいと口ずさみたる人々の行き交う道に砂埃立つ

明治二十二年春。左千夫、「乳牛改良社」を本所区茅場町に開業。

牛飼いの道を踏み出すむらぎもの伊藤幸次郎の明治の心

大正十二年九月一日。

震災の後の闇夜の闇の中闇より暗きもの蠢けり

昭和二十年三月十日。東京大空襲。

亀戸の駅のホームに積まれたる遺体に春の風吹きつける

 

 

後半は自分の現在いるところから過去を想像して描き、最終首で今現在をふたたび詠む。このことで一連構成が立体的になると同時に、田中の歴史への意識と関心がはっきりと顕ち現れる。また東京という空間を詠いながらあらためて認識し直すことで、自分の立ち位置や自我をあらためて問い直している。

 

時間と空間に関心が行くのは今現在の自分の関心事だからと言われればそれまでだが、中年期だからこそではないかとも思う。人生の中盤に差し掛かったとき、今まで過ごしてきた時間と為し得たことを思い返し、今後の時間と為し得ることを考える。同時に自分の社会的あるいは家庭的な立ち位置も考える。空間を意識することは、自分の立ち位置を洗い直すことにもつながる。40歳代50歳代ともなれば、それなりの苦労や辛酸も舐めたに違いない。言い換えれば、真っ当に生きていればいるほど中年期は否応なくそうした思索をせざるを得ない時間なのだ。その思索が『東京』の味わいをより深めている。