神山卓也/守るべきはヤマか雇用かと自問しつつ金貸して来し矛盾も終はる

神山卓也「閉山」(「短歌現代」2002年8月号)


 

2011(平成23)年に解散した短歌新聞社は、多くの歌集歌書の出版や月刊新聞「短歌新聞」、月刊総合誌「短歌現代」などを手がけていた。「短歌現代」は年齢制限のない短歌現代歌人賞と、40歳未満が対象の短歌現代新人賞を年1回主催していた。どちらも募集要項によれば「生きいきとした生活からの感動、生命の具象化の歌を求めて」いる賞で、30首一連を募集していた。

 

掲出歌は2002(平成14)年の第17回短歌現代新人賞で次席となった、神山卓也(かみやま・たくや)の「閉山」30首一連の一首である。この回の選考委員は杜澤光一郎、秋葉四郎、石黒清介の3人(来嶋靖生は病気のため欠席)で、石黒が予選通過20作品中1位、秋葉が2位、杜澤が8位に推薦している。雑誌には30首のうち20首を抄出する形で掲載された。

 

 

閉山の決定を聞くこの朝大夕張の枯れ野し思ほゆ
内定してゐる閉山の話などこの炭鉱マンの前では言ひ得ず
坑道を堀りてゐるこの光景は春には産業史の一コマと化す
感傷に浸る余裕も無きままに炭鉱財務の監査をし始む
解雇さる人らの行く末思ふ冬有効求人倍率は低し
残業をしながら思ふ今頃はさんばんがた三番方最後の入坑時間
炭鉱に貸し来し金を新産業に回さば雇用は増えたかも知れず
生まるる前から続き来し石炭政策の最後の融資の稟議書を書く

 

 

神山は1963(昭和38)年生まれの当時38歳で、「短歌21世紀」所属。「閉山」は炭鉱の閉鎖を指す。具体的にどの炭鉱を指すかは一連からでははっきりとはわからない。ただ1首目の結句「思ほゆ」は「感じられる。自然に思い出す」の意味だから、少なくとも夕張ではない。炭鉱の閉鎖の報を聞いた朝、眼の前の鉱山の景色を見ながら夕張炭鉱の枯れ野原を思い出したということだ。

 

一連を読むと、金融筋の一員として炭鉱に出向していたことがわかる。炭鉱に金を出す側なので勝手に銀行員だと思いこんで読んでいたのだが、念のため神山と同じ結社に所属していた玲はる名に確認してみたところ、神山は銀行員ではなく保険業界に身を置いていたらしいが、そこまでは作品からだけではわからない。

 

今までに仕事の歌はそれこそさまざまな種類のものがあり、炭鉱労働を詠んだ作品はプロレタリア短歌に多く見い出せる。しかし生産側や労使の労の側からではなく、企業に金を貸す資本側から詠まれた歌はめずらしい。掲出歌を始めとして、抄いたどの歌も解釈に迷うところはなく、総体的概念的な業務の把握の奥から、金融マンとしての苦悩が率直に立ち上がってくる。

 

選考座談会の記録によると、石黒は評価した理由を「ヤマがたちゆくか否かを一所懸命に見る資本の側からの視点ということで従来の多くの作品とは違う次元の歌になっている(略)あまり詠まれなかったカネの動き、さらに矛盾を感じたところまで歌っている。だが、それがただちに人の心を打つかどうかは次として、観念でなく人間の生活からの歌ということで評価したい」と述べている。

 

一方で杜澤は「話の筋の運び、歌の構成の上で考えて欲しいものがあって、(略)順位が落ちた」、「作者が勤めるのは金融機関だと分かるのは中ほどからで、最初に自分とヤマとのかかわりを明らかにして歌えば、経済の仕組み、軋轢(あつれき)にしても浮かんでくる」と語り、秋葉も「問題を深く掘り下げて歌にすることでは表現力が未だし」と指摘している。

 

3人の批評は頷けるものがあって、受賞に一歩及ばなかった理由はまさにそこにあるとも思う。また全体に言葉が生硬な印象があるが、実際に使われている用語をそのまま短歌に取り入れないと歌が持つ現場性やリアリティが薄くなるのでこれは致し方ない。さらに全体に字余りが多く、たとえば掲出歌は68677だし、抄いた歌の最終首などは89587だ。おそらく韻律の流れを計算してのものではなく、使いたい言葉や言いたい意味内容を優先した結果だろう。それゆえに韻律が言葉や意味内容に押しつぶされた印象は否定できないが、どうしてもこれは言っておきたい意志は紛れもない。

 

むしろ神山は整った歌を抒情的に詠い上げることよりも、事実と感情の記録性を優先したのではないか。しかしそれゆえに、読者には表現的に下手な印象をあたえてしまうのもまだ事実だ。神山に限らず、記録性やどうしても言っておきたい作者としての欲求をどこまで優先するべきか、悩ましいところである。

 

しばらく前に神山は短歌から離れているようだが、歌そのものの資料的価値は揺らぐものではない。また、神山が亡くなったとの話を今年の6月初頭に聞いた。おそらくまだ50歳代だろう。多才多趣味な方だったので、まだやりたいこともいろいろとあったろうと思う。心よりご冥福をお祈り申し上げるとともに、諸事情で取り上げるのが今になってしまったことをあわせてお詫び申し上げたい。