花山 周子


大森静佳/馬の腹に手を押しあてる少しだけ馬の裡なる滝を暗くして

大森静佳『カミーユ』(2018年・書肆侃侃房)


 

岡井隆が切り開いたアララギ的レトリックと前衛的な暗喩、虚構とのドッキングが齎したリアリティとはつまり、言葉の意味的世界に物理的な関係性を創出することでもあって、たとえば、大森静佳の作品は、その物理性を身体を通過させることでより縦横無尽に血管を張り巡らせるように、あるいは突如切断するようにして歌を鼓動させる。

 

馬の腹に手を押しあてる少しだけ馬の裡なる滝を暗くして

 

馬に手を当てるときの肉体の熱さや鼓動が、「押しあてる」によってより物理的に手に伝わってくる。そして「少しだけ」によってさらにその奥から伝わるものを手は感じている。それは「馬の裡なる滝を暗くして」と詠われるのだ。馬の裡に流れる滝を感じている、その滝の暗さを少しだけ手が感じている、というのであれば、あるいは他の人の歌にもあるかもしれないし、それだけでも十分優れた歌だと思うのだけど、「暗くして」というここには私と馬との物理的な関係性が生まれ、私こそがその「暗さ」に関与していることになるのだ。

 

そのような関係性を言葉によって創出することで、現実的に馬に手を触れる場面を越えて、一首における現場が脈打つことになるし、それは意味的な関係性と深く結びつくことになる。ここで見つめられているものは自らの暗い力でもあるのだ。