吉田優子/カラメルをとろり煮る午後猫が鳴く昨日はどこにもありませんよう

吉田優子『ヨコハマ・横浜』(ながらみ書房・2002年)


 

同じ「短歌人」の仲間だった吉田優子が亡くなったのは2000(平成12)年だから、19年が経った。早いものと思わずにいられないが、亡くなったのは26歳である。自分と同学年だから、存命でもまだ40歳代半ばに過ぎないのである。

 

あらためて吉田の第1歌集『ヨコハマ・横浜』を読む。吉田の唯一の、そして遺歌集となってしまった歌集で、三回忌の少し前に出された本である。四六判並製カバー装で130頁強、カバーはピンクと白を基調にした瀟洒なつくりの一冊だ。

 

歌集には今でも付箋がところどころに貼られてあって、刊行後に横浜市内の料理店の座敷で三回忌兼歌集出版記念会が開催された。30人ほどの会で、ご親族以外の出席した全員がスピーチをしたので、そのために貼ったものだろう。

 

 

排水路カルマン渦を探してはわが混沌に泣きじゃくる鬱
「APPLE」が世界の辞書より消え去れば二人の罪は赦されるのか
雑巾の端と端とをねじり上げ締めあげてやい、白状さらせ
蟹の這う横浜銀行。かべにぬる蘇州夜曲という塗り薬
或る晴れた日に外人が「ヨコハマ」という領域に骨うめました

 

 

付箋のついている歌から何首か引いてみた。掲出歌や5首目は吉田の代表歌とされている歌である。掲出歌から見てゆくと、砂糖を煮詰めてカラメルを作っている午後という設定や文脈あるいは道具立てに独特の雰囲気が漂っており、作品世界にも共通していることは歌集を読み進めるとわかってくる。しかし掲出歌の文脈は意図的だろうが複雑にからみあっていて、「カラメルをとろり煮る午後猫が鳴く/昨日はどこにもありませんよう」と読むか、「カラメルをとろり煮る午後/猫が鳴く昨日はどこにもありませんよう」と読むかで悩む。個人的には前者ではないかと思うが、いずれにしても「猫が鳴く」は上句下句双方に掛かるいわば橋渡しの役割をしていると考えると、この歌の重奏性と世界観の深みが増す。今現在の現実感のなさと近い将来への不安がないまぜに差し出されている秀歌である。

 

他の歌も多彩な表情を見せている。1首目、「カルマン渦」は流れのなかに障害物を置いたときにその後方にできる渦の列だが、渦が生じるくらいだからある程度以上規模の大きな排水路と想像できる。そこに自身の精神状態の不安定さが重なる。3首目は若いエネルギーを持て余しているような力が歌にもみなぎっていて、吉田らしい歌だ。4首目は「蟹の這う」が横浜に掛かる枕詞と知らないと読みにくいかもしれない。「蘇州夜曲」は1940(昭和15)年公開の映画「支那の夜」で李香蘭(山口淑子)が歌った曲で、最近ではNHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」のなかで高畑充希がカバーしている。古い建物の大理石の壁などにはアンモナイトの化石が含まれていることがあるが、この歌の「かべ」も「蟹の這う」や「蘇州夜曲」と呼応してそうした趣きを持つ。横浜の持つ歴史やエキゾチックなイメージを意識しているのはもちろんだが、結句の「塗り薬」に批評精神が見える。5首目は横浜の外国人墓地を詠むが、あえて助詞を省略した乾いた文体で語ることで童話的な雰囲気を醸し出している。

 

吉田優子の歌については、「うた新聞」のコラム「友の歌」など何回か取り上げているのだが今回も取り上げたのは、亡くなった歌人に言及する人がいなくなれば、下手をすればその歌人が消えてしまうからである。遺歌集はその歌人の作品にいつでも触れることができる点で本当に得難い。笹本碧のときにも述べた話だが、同じ結社の仲間が尽力して遺歌集出版に漕ぎつけるのはその意味でも本当にありがたくまた尊い行為である。実際、さまざまな事情で遺歌集が出なかったケースも多いのだ。

 

一方で、歌集の出版自体が少部数だから手に入れたいときに手に入るかは流動的だし、そもそも有名な歌人ならともかくそうでない歌人の場合、歌人や作品の情報に触れ得るかさえ微妙である。だからこそ残されたものが積極的にその魅力を伝えなければならない。

 

『ヨコハマ・横浜』は「短歌人」の先輩である青柳守音が編集作業をし、「短歌人」で月例作品の選歌と添削をしていた編集委員の大和克子が序文を寄せている。ちなみに青柳守音は『永井陽子全歌集』(青幻舎)や永井陽子のエッセイ集『モモタロウは泣かない』(ながらみ書房)の刊行に尽力した人物でもある。そして大和も青柳もすでに泉下の人となってしまった。吉田は亡くなって20年近く経っており、「短歌人」でも知っている人間はだんだんと減っている。その意味でも時間の流れの速さに呆然とするが、残されたものの役割として仲間の良い作品はできる限り表に出してゆきたい。