多田智満子『水烟』(『定本多田智満子詩集』砂子屋書房:1994年)
その刹那すみれいろなる稲妻をついばみゐたり崖の鷹 同上
せつな、きりぎし、すみれいろ……という畳みかけ方が、少年の日に聴いた夕立の雷鳴のようで心地よい。なんとはなしに黄色で塗りたくなってしまう稲妻の光も、あらためて眼をみひらいて受けてみると「すみれいろ」というのがあながち誇張でもない、赤とも青ともつかない色を帯びながら白熱している。
そこに「雨ははげしく斜めなりけり」というあくまで静かな認識が重なるのだが、激しければこそ斜めに降り注ぐ雨脚を思いつつ、同時に「はげしく斜めである」とでも解したくなるような、尋常ならざる雨の勢いと角度への昂揚感をもかき立てられる。
ほとんど同じ語彙を反復しながら、その「きりぎし」に鷹があらわれるとき、詩人の筆は写実を飛び越える。肉の断面のように鮮やかな「すみれいろ」の稲妻を、切り立った崖から鷹の鋭いくちばしが襲う。鷹と稲妻は捕食者と被食者との関係になぞらえてありながら、鷹こそが稲妻の化身のようにも見え、あるいは両者ははじめから詩人の想像力のなかで共犯関係にあったのではないかとすら思わされる。