ついさっき裸の馬が駆け抜けたそんな二月の午前五時半

         坪内稔典 ながらみ書房 『雲の寄る日』 2019年

 ようやく坪内さんの第二歌集が出た。重ったるい私性を吹き飛ばしてくれる自由な遊びのある坪内さんの歌が好きだ。最近、歌は人なり、といわれているように、近代短歌が築き上げてきたリアリズムの強さは十分にわかるけど、いつも三位一体(生活、私、歌)でなくてもいいんじゃないのとも思う。

歌を読む。2月にはいると、目に見えて日脚が長くなり夜明けも早くなる。5時半というと、まだ冷気は厳しいが、日の出の迫った空にうすく光がさしはじめる。そんな夜明けの瞬間の気息をイマジネーションによって鮮やかに立ち上げている。普通なら、現実の空の色とか、鳥の声をまず描写したくなるところを、あっさりと断ち切っている。俳句なら写生の排除ということであろう。裸の馬という現実には存在しない動物をいとも簡単に登場させ、そしてかき消している。いわゆる見せ消ちの趣向だが、ここに儚さという短歌的な湿った叙情はなく、きらめく生動感にあふれている。

注目したいのは「ついさっき」という口語による初句。まさにわれわれが生きている今、この瞬間という場面を平明な言葉でかるがると現出させている。あざやかな瞬間性。
また颯爽とした「裸の馬」のイメージも早春の朝の清新な空気によくかなっている。馬が駆け抜ける時空はもちろん非現実なのに、脳裡には駆け抜けてゆく馬の後ろ姿が鮮やかに刻印されてしまう。読む者の想像力を掻き立てることで一首に詩情を吹き込んでいる。
下句はあっさりと言い収め、いつまでもひんやりとした夜明けの時空に馬の足音が響いているようだ。

あさってのアイツが好きだ早春の水平線がことにくっきり

「あさってのアイツ」って何? 少し思わせぶりだが、要するにこれから遭遇するすべての出来事を、つまり未来を可能性として表現しているのだろう。ここには、単純化された希望にとどく思想があるように思う。この世界の苦ばかりを追いかけて憂鬱がらない、できるだけ優しい目で世界を見渡してあかるく肯定してゆく。そしてそれを表現する悦びを手渡してくれる言葉。あくまでも平明で簡素、そしてかろやかな詩情。こんな機嫌のいい短歌がこころに陽ざしを与えてくれる。