結婚二十年のひかりはどことなく凍蝶に似てしづかなひかり

荻原裕幸(『短歌研究』3月号 第77巻第3号 2020年)

「主にひかりについての抒情」と題された連作を楽しく読んだ。明るいトーンの言葉の組み合わせから生まれる透明感がここちよく、独特のリズム感がある。詩の根源は苦しみや悲しみといったメランコリーにあるともいうけど、その定説をしなやかに更新するような詩情がとても新鮮だ。

ここに引いた歌にしても、ひかりという結構リスクの高い言葉を大胆にも二回繰り返して、なお、もたついていない。結婚二十年目の夫婦のありようを、ひかり、とひとまず転換して、そこから、もういちど変奏してゆく。そのときに「凍蝶」という季語を挟むことで、あわいひかりが一瞬にしてひきしまり、表情がかわる。どことなく、という副詞の使い方も効果的だ。三句に挟み込むことで、凍蝶という硬い語感からあらかじめ力を逃がしている。口語のやわらかさと、伝統的な季語から引き出されるクラシカルな情感との配合のうまさはこの作者ならでは。〈愛情〉を〈凍蝶〉に比喩する端正な情緒が歌の芯にあり、うつくしい歌になっている。

荻原の歌には、ところどころにこの「凍蝶」のような季語を配置したり、ちょっと異質な言葉をおくことで、時間的な、あるいは想念のなかでの遠近感をつくりだしていて、そこに新しい詩情が一瞬にして喚起されることに驚いてしまう。言葉はとても平明だから、無駄な作り込んだ奥行きがないぶん、とてもかろやかな味わいがある。

欅坂を登りつめたらどこまでも一月の白い無が揺れてゐる

この歌なども、どこまでも、で表現をやわらかくほぐしておいて、次に「無」という重い一字を放り込むことで窪みをつくりつつ歌を大きくしている。
さらにこの作者の歌を新しく感じるのは、未来に先回りして確定したことを言わないという組み立て方にあるような気がする。まだ出来事の途上にある情緒や気配をさらっとスケッチしているスピード感のつくりかたに謎があって、つい立ち止まってしまう。

二人と二人の四人がやがて剣呑となり静まつて梅となりゆく