夕日夕日東京衛戍監獄のあかき煉瓦塀ゆけどもつきなく

矢代東村 『一隅より』 白日社・1931年

 

矢代東村は明治22年生まれ。石川啄木の朝日歌壇への投稿から歌を始めている。矢代東村といえばプロレタリア短歌や口語自由律の歌人という印象が強いが、その出発のころの歌は少しちがった表情があり、新鮮。大正元年から大正4年までの歌を編纂し、なんと20年後の昭和6年に、第一歌集は刊行されている。よほど青春期の文語定型の歌に愛着があったのだろう。

引いた歌を読む。初句から畳みかけるように〈夕日〉をぶつけることで、日暮れ時の何かに追い立てられるような切迫感が噴出している。助詞を省いて余白をつくらず東京衛戍監獄と続けることで漢字10文字をびっしりと並べている。まるで文字そのものが長い煉瓦塀の形象のようで強い視覚効果を挙げている。
作者が歩いているのは東京衛戍監獄の煉瓦塀沿いの道。衛戍監獄とは軍事刑務所のことで、東京では代々木練兵場に併設されてあったらしい。東京という都市からこの建築物を取り上げること自体にするどい社会への批判精神が読み取れる。夕日に照らされている長い監獄の煉瓦塀はまさに日本の近代そのものを象徴して鮮烈だ。

 

パン屋のとなりに郵便局ありマント着て上渋谷町われのゆくなり

 

この歌は、先に引いた歌の前に置かれている。二首一組で「上渋谷町」の見出しがついている。こちらは、文句なしに明るい都会の風景を切り取りながらマントを着て歩く都会的な自己像を素直に詠いあげている。それにしても二首にながれる情感の落差に驚いてしまう。近代社会の明暗を先入観なく受け取るわかわかしい感覚がまぶしい。
当時この作者のペンネームは「都会詩人」だったという。大正時代が始まったばかりのころ、文芸をめぐる自由でのびやかな世界が背景にあった。新しい西洋の芸術に触れ、「生々しきゴッホのタッチいつまでも心はなれず悲しくなれり」と詠む繊細さが内面に向けられるとき、同時に容赦なく社会の核心をついてしまう。あかるくて自在な近代精神の萌芽がここにある。

 

三十円の俸給をもらひ天皇陛下のありがたきことを教へ居るかも